Tokyo 7th Sisters Episode 6.0 Finalによせて

 おばんです。

 先日、映画が公開され腰が重たい私は、最終日に見に行った。そこで一度やる気が起きて4話まで読みまた放置。そして昨日、BDを購入するも家に再生機器がなく、人の家で再生させてもらい機運が高まったので、えいやと最終話まで読み切った。

 6/27に見終わったテンションで読み切って、とりあえずありがとうという気持ちと、本当に糞みたいな不正義が横行する世の中を少しでも良くして、より良い仲間を作っていけるようにすることが10代や20代の人々よりもほんの少しだけ先の道を行くもう少しで30を迎えようとする私ができることかなと思った。と同時に、私自身は今博士課程の学生でおそらく研究を続けようとする誰もが「なんで研究するの?」ということを一度は思うことだろうけど、政治理論をやるならば「誰かにより良い世界を見つけていくための武器を渡したい」ということを思い出した。

 読み切って思ったことは、それとここから解釈される余地なんてほぼなく真っすぐに伝わるもので書くことなんてないじゃん、って思ったし、あの大ボリュームをまだまだ咀嚼しきれていないというのが正直なところだけれども、つらつらと書いていこうかなと思った次第。

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 さて、6.0でとりたてて取り上げるべき事柄は次のことだろう。それは正しいことや間違っていることという規範的な基準に従うことではなく、どのようにして先へ進むのか、そしてそのために未来(あした)、世界を信じることができるのか、ということだろう。

 私はかつて4.0に関して覚書きをしたときに次のように書いた。

だからといって、777☆Sistersが選んだ道も優しいわけではない。私たちはたしかに「今ここ」にいるかもしれない。しかし、ここまで歩んできた道は見えているだろうか、途切れ途切れではないだろうか。そして途切れていたとしても、歩んできたんだ、というその身体の感覚、記憶があればいいというかもしれない。しかし、私たちはその感覚や記憶をどこまで保っていられるのか。今や疲弊し、消尽しかかっている。そして、先を行くものたちの光が見えるか。あるいは先を行くものたちの真っ直ぐな光は強すぎて逆光で前が見えなくなっていないか。

 最も不幸なのは、この二つの道の手前で立ちすくんでしまう人々である。倒錯性を貫くほどの勇気もなく、今ここを信じるだけの他者関係も何もない人間はどうするべきなのか。777☆Sistersの道の厳しさの一つは、世界や他者との紐帯である信が途切れてしまっているにも関わらず、その信をどうにか再建しなければならないことである。

  ここで私が意識していたのは多くの人が好んで論じようとするジル・ドゥルーズの「世界を信じること」に関する議論である。『シネマ2』では次のように論じられている。

耐え難いものとは、ある重大な不正などではなく、日常の凡庸さという恒久的な状態なのである。人間は、彼が耐え難いものを感じ、自分が身動きできないのを感じているような世界と、彼自身、別の一世界をなしてはいない。精神的自動装置は、賢者の心的状況の中にあり、この見者は反応することができないので、つまり思考することができないので、なおさらよく見、遠くまで見るのだ。それなら微妙な出口とはどんなものか。別の世界を信じることではなく、人間と世界の絆、愛あるいは生を信じること、不可能なことを信じ、それでも思考されることしかできない思考不可能なものを信じるようにして、それらを信じることだ。

『シネマ2』p.237  

 

引き裂かれるのは、人間と世界との絆である。そうならば、この絆こそが信頼の対象とならなければならない。それは信仰においてしか取り戻すことのできない不可能なものである。信頼はもはや別の世界、あるいは変化した世界にむけあれるのではない。人間は純粋な光学的音声的状況の中にいるようにして、世界の中にいる。人間から剥奪された反応は、ただ信頼によってのみ取り返しがつく。…キリスト教徒であれ、無神論者であれ、われわれの普遍化した分裂症において、われわれはこの世界を信じる理由を必要とする。

『シネマ2』p.240

  ここでドゥルーズが想定している世界と人間との間の絆の断裂や耐え難い状況をそのままそっくり適用できるわけではないし、ここでこの詳細な議論をするつもりもない(1)。しかし、表面上彼の言葉を借りるならば、思い当たることも多いのではないだろうか。今回の6.0でテーマとなったようなナナスタのみではどうもできないような金と権力によって作り上げられた巨大な資本主義システムの一つや彼女を享楽的に消費しようとする大衆たち、また私たちがいま生きる社会にもこうした耐え難い状況は多々あるのではなかろうか。そうした状況は春日部ハルと四ッ倉ナツミとの間のように、かつての春日部ハルと天神ネロとの間のように、そして777☆シスターズと社会や市場というように深い深い断絶をもたらしていく。

 こうした深い世界との断絶という「現実」を前にして、また新たに世界を信じること、きっとより良い未来(あした)が来ることを信じることを徹底して描こうとしたのが6.0であり、これまでのナナシスの物語であったように思われる。

 世界を信じること、先へ進むこと。

 ただ私たちはこれらの問いの間をずっとぐるぐる回っているだけのようにも思えてならない。先へ進むためには、世界や他者を信じなければならない。世界や他者を信じるためには、先へ進まなければならない。

 これはこの物語を受け取った私が「あしたの君が笑えるように」そして、「あなたはどうしたい」ということを問い続けることが必要だろう。

 What is to be done?

 

(1)ドゥルーズの世界を信じることに関する素晴らしい分析については次を参照。Thiele, Kathrine (2010) " 'To Belive  In This World, A s It Is': Immanence and the Quest for Political Activism," Deleuze Studies, 4(suppl), 28-45.

 

 

2020年良かった音楽

 おばんです。

 25日にバイトを終えて、もうこのまま仕事を収めて封をして二度と開けたくないとかぼやいて、本読んでたら気づいたらもう29日になってる。今年の休みの短さはあんまりだ。

 今年は外出の機会が少なくなり、そうすると音楽を聞く時間も自然と減ってしまう。というのも、家にいると昼間はラジオをずっと聞き、それが終わって夜になれば野球見たりアニメ見たりしていると一日が終わってしまうからだ。

 そのせいか、新しい音楽を探す気力もあんまり起きず、という悪循環に陥りそんなにリサーチできていない。

 上半期ベストというものを作ったが今聞くと現在という布置に拘束されているせいで、うーん?となってしまうものもあったりした。だから年間ベストというものを作ったとしても、あくまで2020年12月末、そして急激な寒波が迫りくる日の中という状況に拘束されて作り出されたものでしかない。たぶん来年の7月とかに作ればまた違ったものができる。

 そんな前置きをしつついってみよう。聞いてきたなかでこれは特に良かったというものがあるものの、とりたてて順位というものをつけない。

 

 チェロ奏者で楽曲的にも音数が少なく非常にシンプル。今の季節にいいかもしれない。書きながら、ジョアナ・ケイロスを思い出した。

 Asiは、こういうゲストボーカルを迎えて曲を作ると本当に良い。今年特に好きだったもの。

 今回年間ベストを作るぞ、と意気込んで2020年のプレイリストを上から振り返ってたら毎度途中で足止めさせられてしまった。丁寧で嘆息させられる曲。この後に、Moonsを必ず聞きたくなって振り返りが全く進まなかった。

 上半期にもあげたもの。

 アルバムが出るぞ!とインターネットで見てあんまりにもびっくりしてしまった。と同時に、チャンネル3というアルバムが出ていたのを見落としていたことに気づいた。

 これも上半期に。最高ですね。

 完全に夏向けのポップス。

  豪華なメンツによる最高なやつ。

 みんな大好きStereolabのメンバーの一人によるアルバム。夏によく聞いてた。

 シンプルにいいですね。

 プレイリストを聞き直していて、そうそうこれ一時期ものすごく聞いていたと思い出した。

 後半に結構聞いていた一枚。二人の技術力の素晴らしさに笑ってしまう。

 春先に散歩しながらよく聞いていた。

 少しだけなつかしさを感じてしまうようなシューゲイザーのバンドもの。

 一曲目の表題曲がこれぞMPB!という感じで最高。

 ちまちまとシングルとして出されていたものが4月頃にアルバムとして出されてよく聞いてた。これもこれぞMPB!

 三人の名手が集まったライブ盤。とにかく上手い。ラストナンバーとかものすごい。いつも聞いては笑ってしまう。そう、人は上手いものを聞くと笑ってしまう。

 ゆるい感じのギターポップ。できれば暑い盛りに出してほしかった。

 そう、良いポップスにも人は思わず笑顔になってしまう。

 夏にぴったり。今年のうちで特に好きな一枚。

 MCM背負ってんのか?って雰囲気のジャケだけども、ロック・グランジといった具合で時々ほとんどNirvanaみたいな曲が顔を出してきたりしていてかっこいい。

 インターネットを見ると多くの人がRodrico Carazoを挙げているのでこっちもベストとして挙げてほしい。Rodrico Carazoも一曲目で入ってきてるぞ。

 どういう並びなんだよ、と思われるかもしれないがプレイリストの並んでる順に選んでいるので悪しからず。apple musicによるとどうやら私はSPYをよく聞いていたらしい。

 前からシングルやEPを聞いていて、いつフルアルバム出るんだと楽しみにしていたらようやく出てくれた。

 今年の最初の方に出たもの。とにかく空間の作り方が素晴らしい。フィジカルでも買おうと思ってたのに、そういえば忘れている。

 前作も好きだったが今作も変わらず好きです。

 解散し、数年間の思い出をありがとうということで。それにしても、ラストナンバーのタイトルが「untie」っていいですね。一番好きな曲は「まぶしい」です。

 おそらく今年最も楽しみにしていた一枚であり、最も聞いた一枚。「LOVE

SONG」が今年のベストナンバー。

 これは完全に番外編のようなもので、数年前に限定的にリリースされていたものがサブスクに今年来たということで。今年の地味な驚きの一つはUNISON SQUARE GARDENthrowcurveの「連れてって」と「表現は自由」をほとんど丸パクリと言っていいほどの曲を作ってたこと。結婚おめでとうございます。

 かなり久しぶり?なアルバムリリース。Rafael Martini Sextetというオーケストラで演奏されていた曲がバンド形式で収録されており、その中でも「Dual」はとんでもなく良い。

 堀江由衣の曲の中でもCHILDISH♡LOVE♡WORLDが好きで、訓練されたオタクたちのコールを聞いて笑ってしまう。

 バンドの英語名がZoo Gazerでその名にふさわしいシューゲイザーバンド。夏によく聞いた。

 

 以上!

私的邦楽選

 おばんです。

 どうやら最近ネットで邦楽アルバム選びが盛んに行われている。よく動向をつかめていないものの、とある方が始めた邦楽アルバム100選に反発するかのように、過小評価されていると私的に思うアルバム選びが始まり、そして私的ベストへと至っているようである。

 過小評価と言うのをわざわざタグにしてまで言っちゃうのはなんだか野暮すぎるけど、私的ベストを選ぶのは楽しそうでやってみたい、ということでやる。ちょうど今日締め切りの論文を出し終えたのでこのテンションでやってみよう。

 ただ何の規定も設けないと、同じアーティストから全てのアルバムを選ぶなんてことが起きてしまうので、同一アーティストから3枚までということにしておく。選んでいくとこれも好きだった、ああこれも好きだったということになるけど、現在という観点からベストに選んでみようと思ったものを選ぶ。いわば自己に対する系譜学のようなものである。以下では、便宜的に数えるために番号が振られているが順位を意味するものではない。itunesで上から選んでいく。では、いってみよう。

 

  1. andymori/andymori
  2. BAND A/〇か✕か
  3. batta/ゲームオーバー
  4. Burger Nuds/kageokuri
  5. Burger Nuds/自己暗示の日
  6. butter butter/ミナモ
  7. the cabs/一番はじめの出来事
  8. the cabs/回帰する呼吸
  9. the chewinggum weekend/KILLING POP
  10. the chewinggum weekend/MIRROR BALL
  11. cinema staff/cinema staff
  12. cinema staff/SALVAGE YOU
  13. Climb the Mind/ほぞ
  14. Cocco/ブーゲンビリア
  15. cuol/アレゴリーとシネクドキ
  16. cuol/シネクドキとギターからはじまる3曲
  17. The DARARS/MONSOON
  18. dry as dust/MAWARITSUZUKERU
  19. The Future Ratio/NU FLUXUS
  20. Good Dog Happy Men/the GOLDENBELLCITY
  21. Good Dog Happy Men/The Light
  22. HOLGA/地下一階
  23. LUNKHEAD/地図
  24. miimi/ephyra
  25. The Mirraz/be buried alive
  26. mol-74/18%の描いた季節
  27. THE NOVEMBERS/THE NOVEMBERS
  28. THE NOVEMBERS/picnic
  29. THE NOVEMBERS/To (melt into)
  30. People In The Box/Ghost Apple
  31. People In The Box/Family Record
  32. People In The Box/Citizen Soul
  33. Poet-Type.M/White White White
  34. Poet-Type.M/A Place, Dark & Dark-ダイヤモンドは傷つかない-
  35. Poet-Type.M/A Place, Dark & Dark-性器を無くしたアンドロイド-
  36. QOOLAND/毎日弾こうテレキャスター
  37. QOOLAND/それでも弾こうテレキャスター
  38. Ring Ring Lonely Rolls/Chemical
  39. stoa/ガードレールを越えて
  40. throwcurve/レディオフレンドリースロウカーヴ
  41. throwcurve/ニューワールド ハートビート
  42. Tokyo 7th シスターズ/THE STRAIGHT LIGHT
  43. Ululu/話をしようよ
  44. urema/死の家の記録
  45. urema/carpe somnium
  46. urema/光の棺
  47. urema/白日の隅・・・・・・・例外的に四枚選んでしまった。
  48. おいしいミネラルコアラ/Let's Go!!!おいしいミネラルコアラ
  49. カフカ/Memento.
  50. きのこ帝国/夜が明けたら
  51. クリープハイプ/待ちくたびれて朝が来る
  52. ジャパハリネット/東京ウォール
  53. ジョゼ/swimming. EP
  54. シリカ/不確かな証明
  55. シルバニアスリープ/語られることのない、僕のストーリー
  56. セツナブルースター/イツカ・トワ・セツナ
  57. セツナブルースター/キセキ
  58. セツナブルースター/「二十歳」より
  59. つばき/覚醒ワールド
  60. ドイツオレンジ/25時のメロディ
  61. トリプルH/HHH
  62. ナカムラリョウと前未来/空想音楽
  63. ハイスイノナサ/街について
  64. ハヌマーン/World's System Kitchen
  65. ピアノガール/Candy apple red sacrifice
  66. ピアノガール/いつか漫画で見た。
  67. ヒツジツキ/箱庭イリーガル
  68. ヒツジツキ/rumpus room
  69. フジファブリック/TEENAGER
  70. ゆれる/mutilations
  71. ゆれる/distractions
  72. 音速ライン/100景
  73. 家主/生活の礎
  74. 花のように/夜行列車
  75. 花のように/北極星まで・・・・・・・CD化されてすらいない
  76. 忌井三弦/天竺と馬脚
  77. 忌井三弦/kamiyoshine.ep
  78. 筋肉少女帯/断罪!断罪!また断罪!!
  79. 筋肉少女帯/レティクル座妄想
  80. 限りなく透明な果実/十字衛星軍
  81. 限りなく透明な果実/サナトリウム.end
  82. 限りなく透明な果実/LILI&HAL・・・・・・全く余談だけどブルーフォックスをはやく音源にしてほしい
  83. 松任谷由実/DA・DI・DA
  84. 真空メロウ/ぞうの王様
  85. 真空メロウ/Sea Understand
  86. 世界/蒼穹のレプリカ
  87. 世界/琥珀のシンフォニー
  88. 中村一義/金字塔
  89. 中村一義/太陽
  90. 中村一義/100s
  91. 中村佳穂/AINOU
  92. 田中ヤコブ/お湯の中のナイフ
  93. 堀江由衣/秘密
  94. 堀江由衣/ワールドエンドの庭
  95. 門田匡陽/Nobody Knows My Name
  96. 凛として時雨/Feeling your UFO
  97. 100s/OZ
  98. 100s/世界のフラワーロード

 とりあえず上から順に選んでいって、終盤に「お、これは期せずして100枚とかになるのでは」と思ったけどならなかった。もう一度見直して足すのもありかと思ったけど。これでとりあえず以上。

 こうしたラインナップを見ると、他の人には必ず入ってるであろうシロップ、アート、ナンバガが入ってない。そう、なぜならほとんど通っていないから。昔から不思議だったもののなんでだかはまらなかった。

 それでは。

 

 

20200723日記

 おばんです。

日々手帳に数行の日記をつけているものの今日はなんとなくブログで。

 ここ数日は5月に出版されたものの海外からの発送が遅れて、ようやく届いたJane BennettのInflux & Effluxを読んでいる。ホイットマンに沿って、というものなのでやたらとわからない単語が出てくる。そしてもう少し前からアデニウムを種から育てている。アラビカムとタイソコトラナム(ソコトラナムそれ自体は生産地から持ち出し禁止らしく、オベスムと交雑して生まれたものらしい)という種類を育てている。順調に発芽し、発芽したものは全て双葉が開いた。いつか安住氏が日曜天国で「人間は年を経ると好きなものが変わってくる。最初は人とか動物とか動くもの、次は植物、そして最後は石」と言っていたが、順調にその轍を踏んでいるかのようである。

 昨年、ナナシスのHEAVEN'S RAVEがリリースされてから断続的に聞き続けている。というのも、私自身が研究の内で加速主義やら暗黒啓蒙を調べていて、それとあまりにもこの曲が肉薄しているから。どう考えてもその先には失敗しかないだろうし、その道程には矛盾しか存在しないのに、それらを抱え込みただ邁進する強大な力に魅力をやはり感じてしまいつつも、日々悪化していく世の中と重なってやはり末恐ろしくなってしまう。それを、恐ろしいほど適切に掴みだした作曲陣も末恐ろしい。

 そう、そうやって聞き続けていたにも関わらず、曲中の歌詞とタイトルとの掛け合いに気づいていなかった、ということに今日気づいた。歌詞に「天国のスレイブ」とあり、単純に「HEAVEN'S RAVE」を切り離すと「HEAVEN SRAVE」になる。

 ただ「天国のスレイブ」という言葉選びはとても面白い。この曲自体もそうであるし、私たちもいくつかの点にいてある種の天国への崇敬に縛られている。私たちで言えばポストモダンにおけるメシアニズムや潜在的なもの、曲中で言えばサビは言わずもがなだが、「思考停止の毎日へと縛り付ける常識をはぎ取ってみて痛くたってそれが本能なんだ」というようにあたかも常識や現実の下部に真実が潜んでいるという観念。

 こう考えていると思弁的実在論がある種社会と連関して出てきたと言われる所以もわからなくもない。知らんけど。

 

2020年上半期良かった音楽

 おばんです。

 Twitterを眺めていると、上半期ベストのようなものが流れてきて、上半期まだぎりぎり終わってないのでは?と思いつつやってみよう。

 フィジカルでは、2019年にリリースされていても、Apple Musicで2020年にリリースされたものをカウントしている。それでは行ってみよう。順番はランク付けを反映するものではなく、ただ私のitunesのプレイリストの上から取っていった順番。

 

 日常の光景とバンドサウンドが巧妙に合わさっていて心地よい。

 プレリリースされた曲からかなり期待していたが、アルバムを通して期待を裏切らないかっこよさ。サイケ・ソウル。

 ギター主導のソウルミュージック。シンプルでかっこいい。

 今年最も良かったといえるものの一つ。10曲ながら30分程度しかなく、うっかりするとあっという間に一周してしまうので、よく耳を澄まさねばならぬ。

 みんな大好きStereolabにも所属していたJulien Gascの一枚。ゆるゆるとしたサイケ・ポップはこれからの季節に最適。

 ちょうど先週リリースされたばかりのチリのSSWによる一枚。MPBらしさ、インディーロックらしさがたまらなく良い。今のところ今年で一番良かった一枚にしたいと思っている。

 春頃に散歩して聞くには最適のポップス。ギターのコーラスがかかった具合やシンセサイザーの音色を考えると夏にもいいかもしれない。

 ピアノとストリングスの静かな一曲目から二曲目に入って始まるインディーロック。日本のインディーズ好きな人には相性が良さそうなので聞いてほしい。これも一番良かった一枚にしたい。

 これぞMPB!という一枚。タイトルにもなっている一曲目のTeletransporterがとても好き。

 ちまちまと一曲ずつシングルとしてリリースされていて、そのころから気になっていたが、ようやくアルバムとしてまとまってくれた。これもザ・MPB!という一枚。

 去年の暑い頃はよく韓国ソウルを聞いてたが、今年もお世話になりそうだと思わせてくれる一枚。これを聞きながらならば夏の日差しが強い日でも外出できそう。

 ドリームポップとして最高。

 曲の空間の作り方が非常に素晴らしい。

 ヘブライ語なので、ポルトガル語やらスペイン語以上に全く分からない。長大なアウトロが大好きな人間としては最後の曲のギターソロとともに演奏されるアウトロがたまらなく良い。

 中国のシューゲイザーバンド。ソウルらしさもあってやっぱり夏に聞きたい。

 みんな大好き上坂すみれのアルバム。声優アルバムとしてだけカウントしてしまうにはちょっと惜しいくらい良かった。SPYは最高。

 今年最も音が好き。空間の作り方、一つ一つの楽器の引き立て方、そして唄の入り方。どれを取っても素晴らしい。

 

 Apple Musicからダウンロードしたもののまだ聞けていないものが多い。いつも大学行ったりして帰り道やら散歩やらしている間に聞いていたことが多かったために、家にいるとそんなに捗らない。なんならノベンバの新譜だってまだ聞いてない。年末にどれだけ変わるかな。

 それでは。

Tokyo-7th Sisters Episode 5.0 Fall in Loveによせて

 おばんです。

 もうだいぶ前にナナシスのEpisode 5.0が終わり、私も遅ればせながら読んだのでまた覚え書きです。本エピソードは、何よりもまず驚くべきは時は4.0の2034年から流れ、2043年の話という点である。あのAXiSの激闘から数年が経過し、ナナスタは以前のような小さい事務所ではなく、4.0の最終話の最後の最後で華々しく仕事が多く舞い込み、その後おそらく年月をかけていまや多くの人々を雇う事務所となっている。しかし、そこには2034年時点で華々しい活躍をした777☆Sのほとんどの面々、そして六咲コニーの姿はない。777☆Sの他のメンバーとは異なり残された芹沢モモカは2代目マネージャーを就任し、同じくメンバーだった晴海シンジュは当時コドモ連合といわれた有栖シラユキ、星柿マノン、ターシャ・ロマノフスキーとともに新たなユニットとしてSeason of Love(SOL)を結成している。当時、子供といっていい年齢だった彼女らは、ティーンエイジャーを迎えたり、成人したりしている。

 本エピソードは、そうした取り残された、または新たに未来へと歩もうとする彼女らの物語である。副題が今回は「Fall in Love」であり、また「未来に恋する物語」として位置づけられている(1)。Loveを愛か、恋かとどのように取るかは解釈の余地が多分に残されているが、ここではその違いについて踏み込まない。

 本稿で、問いとしたいのは、そもそも「未来に恋する/を愛する」とはどういうことか、ということである。未来とは、一見時間が過ぎれば当然のごとく到来してくるものであるかのようでもある。しかし、現在を肯定し、積み重ねることは単純に未来を到来させ、「未来を愛する」ことに繋がるのだろうか。未来はいくつかの点から分析できるが、現在から予期される後のことであり、あるいは現在に接しながらも永遠に来たるべきものとしてとどまってもいる。

 ここでは、本エピソードのいくつかの話に触れつつこの問いにいくらかの方向性を与えたい。そのために、以下では二点に沿って考察を進める。第一に、本エピソードのおそらく最も核となるテーマである「決して溶けないもの」についてである。これまでもエピソードの重要な場面において主張されてきた「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」が反復され、「決して溶けないもの」はその主張をより明確にしているように思われる。この考察を経て、第二に「未来を愛する」ことについて明らかにしていく。

 

1.決して溶けないもの、黄金。あるいはIn Memory of Louis

 本エピソードにおいて、「決して溶けないもの」または「黄金」と呼ばれるものを読み解くことは難しいわけではない。気づかれている方も多いだろうが、重要なことは大人、アイドル、未来といった多用されるフレーズを分節化することである。すなわち、社会に広く共有され規範として作動する時計時間的な概念と、諸個人の内在的な経験に働きかける生きられた時間に沿う概念とをである。便宜的に時計時間的なものを〈〉つきで、生きられた時間によるものを『』つきで表現しよう。

 このとき、あのフレーズは「『アイドル』は〈アイドル〉じゃなくてもいい」と理解できるだろう。『アイドル』であることは、〈アイドル〉のように資本主義システムの内で形成されたTVショーや雑誌、歌、ダンス、さらにはステージにのぼらなくてもいい。『アイドル』であることは、以下で明らかにしていく個人の経験の内で涵養される「決して溶けないもの」という信念を抱いてさえいればいいのだ。しかし、本稿で主題とすることはないが、この一つの語に二つの概念が重なられることによる緊張感、そして時計時間の圧力の強さは指摘しておいてもいいだろう。幸運にも時計時間と生きられた時間が重なるケースは存在する。〈アイドル〉であることがティーンエイジャーかせいぜい成人を越えたくらいが望ましいと共有されている社会において、その頃合いに信念をもって『アイドル』となれたものは非常に幸運である。しかし、そうではないケースもある。そうした社会において〈30歳〉をすぎても『アイドル』を目指すものは〈社会〉から白々しい目で見られてしまう。また逆のケースとして、女性や男性の〈アイドル〉をもっぱら性的な対象として暗に見てしまうようなところで、それを良しとして『アイドル』となるものは、もしかしたら疑わしく思われてしまうかもしれない。なお悪いことに概ねそうしたズレが生じるケースにおいては、否定的な諸観念を増長させてしまう。「30歳にもなってアイドルなんて」とスティグマ化したり、後者の例の成功はより客体化の傾向を強めてしまう可能性がある。しかし、ここにはもちろん意味を転覆させる可能性もある。それぞれの何らかの仕方での成功は、既に存在する〈アイドル〉の規範を転覆し、新たな規範を分岐させるかもしれない。そう、フーコーがクイアという概念を転覆させたように。

 ともあれ、話がそれたのでまず大まかな物語の流れを確認しておこう。本エピソードでは、「決して溶けないもの」というテーマが共有されつつもそれぞれのキャラクターの内で語られている。その中で、特に主要人物となるのが星柿マノンであり、また2034年から取り残されてしまった芹沢モモカ、晴海シンジュである。それぞれのキャラクターに焦点を当てていこう。

 まず星柿マノンについてである。彼女は17歳、高校二年生になりSOLのメンバーとなる。彼女はアイドルとして活動していく中で、また高校二年生という進路の分岐点にあって悩んでしまう。すなわち、SOLには2043年のアイドルブームの再来をつくった最早伝説と言ってもいい777☆Sのメンバーであったシンジュを間近にして彼女に憧れつつも、どうしようもなく自身の凡庸さを感じてしまう。マノンは、シンジュに社会の内でスターと見られる〈アイドル像〉を重ねてしまい、それに対して自分はあまりにもありふれていて、普通の女子高生で彼女には届かないと考える。また高校二年生の進路選択という契機にあって、アイドルになるのか、でもそれはあまりにも凡庸な自分にとっては信じられない話であり、社会が規範として要請する〈大人〉になったほうがいいのではないかと考える。

 そこで、象徴的に取り上げられるのが「魔法のステッキ」である。彼女は子供の頃から魔法少女に憧れており、その象徴としてステッキを自身を奮い立たせるおまじないの道具として持ち続けていた。しかし、そうしたステッキはどう考えても〈子供〉のおもちゃであり、立派な〈大人〉や〈アイドル〉になるには相応しくないと思い悩む。以下で論じるように、こうしたステッキは「決して溶けないもの」に対比されるように、心の奥底に箱に入れ、鍵をかけてしまいこまれてしまう。以上のように、マノンはかつて777☆Sのメンバーであったシンジュに〈アイドル〉の理想像を見出し、同時にそれに追いつけ追い越せと〈時間〉にせかされ、〈大人〉になろうともがく。そのために、象徴的な〈ステッキ〉を捨て去ろうとする。

 これらの解釈は彼女のいくつかの主張から読み取ることができる。

どうして

落ち着いてよ

魔法……魔法……お願い

ダメだ……こんなものに頼ってちゃ

本物の、アイドルみたいに――ッ!

第四話 帰らない魔法 

アイドルになれないのならせめて、大人にならなきゃ……ッ!

私は……大人にならないといけないの

第四話 帰らない魔法

だから……だから大人になろうと思った!!

アイドルとしての才能がないのなら

アイドルらしくなれないのならせめて、大人になろうと思ったの!!

なのに!未来はどんどん迫ってくる!毎日毎日、迫ってくるッ!

第六話 黄金の海

 次にモモカとシンジュについて見ていこう。777☆Sの他のメンバー、そして六咲コニー、もとい七咲ニコルがナナスタを去ってしまったにも関わらず、彼女らはナナスタに居残り、去ることはできなかった。モモカは去ってしまったコニーに対して「なぜ去ってしまったのか」と問うことができず、いつ彼女が帰ってきてもいいように事務所を彼女が去ったときと同じのままに固定し、彼女がかけていた眼鏡をかけることで〈マネージャー〉という役割を全うすることによって、過去を閉じ込めてしまった。

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第三話 遠い日の夏陰


 またシンジュは、コニーがナナスタを去った出来事に対して向き合うことができず、〈時間〉の変化に身を任せて、ただその出来事を過去の海へと埋めようとしていた。

私はきっと

怖かったんだ。

変わっていく世界、変わっていく自分、変わっていく私たちが。

だから、自分から変えようとした。

大切だったから、なくしたくなかったから、自分の胸の奥に仕舞って、鍵を閉めてしまった。

そんなことをしたって、失くなったものは戻らないのに

第五話 フォール・イン・ラブ

 以上のように、彼女らに共通する要素とは次の点である。過去に抱かれていた大事な思いを箱に閉じ込め、鍵をかけ、深く沈殿させる。そして、沈殿物を〈〉つきの要請に対する遂行によって、より深く過去の層へと閉じ込めようとするのである。

 こうした思いの閉じ込めに対して、転機となるのが度々繰り返されてきた「アイドルはアイドルでなくてもいい」という主張と、「決して溶けないもの」という信念形成である。この点において、マノンが主軸となっており、明示的に表れているので彼女の物語を進めていこう。

 ここで、重要な転機をもたらす人物の一人として、ナナスタにふらりと訪れた姫宮ソル、かつてセブンスシスターズで若王子ルイとして活躍していた人だった。彼女は、ステッキを捨て、ただただ立ちすくむマノンを連れ出し、話を始める。ルイはマノンから、大人になることかはどのようなことかと問われ、それに対して次のように答える。

そうだな

いくらでも綺麗事が言えるようになる、かな。

だから、もし君が望むなら

今ここで生きる意味だとか、人に優しくする理由だとか、実は不幸な自分の過去だとか――

君は一人じゃないよーだとか、いくらでも言えてしまう。

それが大人ってやつだ。

第五話 フォール・イン・ラブ

 しかし、当然これはマノンが望んでいた解答ではない。マノンが望むのは〈大人〉になることではなく、『大人』になることなのだ。それに呼応するかのように、ルイは次のように話を続ける。

 マノン、人はね――

『自分』から逃げることはできないんだよ。

たとえどんなに素晴らしい才能があっても、どんなにたくさんの経験を積み、大人になっても、失敗も、後悔も、寂しさも、きっとなくならない。

でも――

それが『君』なんだ。

それが君の人生なんだ。

嫌だったら逃げればいい。怖かったら隠れればいい。誰かのせいにして、自分に失望して

でも、どこまで行っても自分自身から逃げることはできない。

辛いだろ?辛いよな?

でも、そんな辛く険しい人生の中で

君が君のことを信じてあげなかったら、誰が君のことを信じてあげるんだい?

(中略)

もし、それが心の中にあるのなら

心の中の小さな部屋に、鍵をかけて大切に仕舞いこんだりしないで――

燃やすんだ。そいつを。何度も何度も。

それがいつか――

『決して溶けないもの』になる。

第五話 フォール・イン・ラブ

 「決して溶けないもの」を抱くことが『大人』になる鍵である。すなわち、マノンの〈子供〉のものとしていたステッキ、モモカやシンジュが吐露することが出来なかった過去の思い出は仕舞いこまれ、鍵をかけられるべきではない。むしろ求められるのは全く逆の実践である。それを取り出すだけではない。辛く険しい人生の中で、その大事なものをつねに燃やし続け、換言すればその状況に耐えうるかテストにかけ続けることによって、「決して溶けないもの」になる。社会において共有されている規範に基づく〈〉つきの要請に応え、何か大切なものを捨て去るのではなく、それらの中で生じる数々の出来事の中でその人の内に、その人だけに生じる大切な何かを作ろうとする過程、そして作り上げられたものこそ私たちは求めるべきなのである。

 ここで、作中に何度か挿入されたマノンの777☆Sの春日部ハルとの回想が接続される。ハルは、マノンに次のように伝えている。それこそが、「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」である。

 

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第五話 フォール・イン・ラブ

 先に見たように「『アイドル』は、〈アイドル〉じゃなくてもいい」と読み替えられる。つまり、社会、そして資本主義に要請される〈アイドル〉になるのではなく、「決して溶けないもの」を持ち続けることこそが『アイドル』になることなのである。

 ここにきて、episode 4.0におけるアイドルとは誰を指すのかという議論に対して少し違った角度から迫ることが出来る。4.0では、誰かの背中をおすこと、それはただ〈アイドル〉だけがなせるものではなく、見ているファンを含めて、全ての人間が誰かの背中を押しており、その点において皆『アイドル』である。ここでは、異なった要件として「決して溶けないもの」を抱き続けているものが追加されることになるだろう。

 蛇足ながら、こうした一連の主張は私が好きなバンドの一つであるPoet-type.Mの「ダイヤモンドは傷つかない(In Memory of Louis)」という曲と重なる。少しだけ歌詞を引用しておこう。

「気にしないのは罪悪かい?

泣けない「悲しい」を恐れちゃ駄目さ。

そう君の君はずっと、もっと、素敵だよ、素敵だよ。」

想いを込めた沈黙は軽い言葉の歌詞じゃ傷つきやしない。

ありとあらゆる種類の「YES」はもう君の瞳に溢れるほどに。

Poet-type.Mの「A Place, Dark & Dark -ダイヤモンドは傷つかない- 第二章 夏 - EP」をApple Musicで

 「決して溶けないもの」を生み出すために燃やし続けることは、〈〉つきの社会の軽い言葉たちに惑わされてはならない。鍵を開けて、取り出し、そして肯定し続けることである。

 

2.未来を愛する?

 以上では、『』つきと〈〉つきの要請とを区別し、前者にコミットし続け、その過程で涵養される「決して溶けないもの」を抱き続けるものこそが〈アイドル〉であると明らかにした。ここでは、主題となる「未来を愛する」について見ていきたい。

 まず本エピソード内で「未来」に関わる主張をいくつか取り上げることから始めよう。まずマノンはこう述べる。

きっと、この時間は永遠じゃないんだんあーって。

だからこそ、精一杯、『今』を頑張るんだなーって。

だって、『今』を一生懸命やれなかったら

いっぱい傷ついたり、いっぱいしたりしなきゃ、ああ〔ルイのように〕はなれない。

今ある失敗も、後悔も、寂しさも、全部含めて『私』なんだって

第六話 黄金の海

〔〕内は筆者による補足

 またルイは最後の印象的かつ素晴らしいカットで次のように述べる。そこでは、黄金のように輝く夕暮れの海辺でモモカがルイに対してこれまでのコニーへの想いを独白しているときに、コニーがやってくるカットである。

そういう〔モモカがコニーへと抱いている〕大事な想いは

君が大切に育てたその想いは

『心の中の黄金』だから

だから自分の口で伝えたほうがいい

想いは消えない

燃え滾る熱い心の炎で燃やしたそれは

失敗も、後悔も、寂しさも飲み込んで

いつの日か

溶けることのない『黄金』になるんだ

来た、みたいだね――

――私たちの『黄金』

 

彼女はもう六咲コニーじゃない

私の知ってる七咲ニコルでもない

ただの人間で、ただの女の子だ

たくさんの過去とたくさんの未来を持った

たった一人の女の子

そして

いつまでも私たちの心の中にある『黄金』

さぁ、行っておいで

走れ、若者よ。未来へ

そしてまた、いつの日か

『君』はまた『君』になるんだ

ほら、また――

夢が始まるよ

第六話 黄金の海

〔〕内は筆者による補足

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第六話 黄金の海――やってくる彼女に駆け寄るモモカとシンジュ

 これまでの議論より、『今』を肯定することは「決して溶けないもの」または「心の中の黄金」を抱き続けようとすることであるとわかる。しかし、それは果たしてどのように「未来を愛する」ことへと繋がるのだろうか?

 ルイはやや比喩的に、未来を持ったかつてコニーやニコルであった彼女を迎い入れるために走りだりていくことを、「未来へ」と述べている。「未来へ」と向かうための条件として「決して溶けないもの」を持っていなければならない。

 ここで、鍵となるのはその後に続いて述べられる「そしてまた、いつの日か、『君』は『君』になるんだ」という主張である。「決して溶けないもの」を抱くことは『アイドル』であるための条件なだけではなく、社会に要請されるのではなく本来の『自分』になるための条件でもある。すなわち、これこそが『今』の肯定である。この主張を未来に接続するにあたって、上記でも少し触れたepisode 4.0におけるアイドル像を参照することが役立つ。

 私はその点について次のように解釈した。ハルの4.0の13話における長い独白において述べられた「自己を超えること」、そして「あなたは私のアイドルです」という主張が要点となっていた。この時、私たちはつねに誰かの先を行くものであり、同時にその先を追うものでもある。追いついてたどり着いては、また先に行くものを見る。そして、また追いつくために自分の足で前へと歩きださなければならない。ここに一つ「未来」のようなものを見出せる。私たちの先を行くものたちこそが「未来」なのだ。先に行くものは必ずしも他者でなくてもいいが、より重要な点がある。

 それは先を行くものは「決して溶けないもの」を持っており、そのことによってその人を信じなければならない点である。先を行くものを信じることは、同時に後を追う自分自身が「決して溶けないもの」によって、その未来まで歩いて行けるであろう自分自身を信じることでもある。そして、同時に今ここに「決して溶けないもの」を抱いてたどり着けた自分自身を信じ、肯定することでもあるのだ。

 この時、「決して溶けないもの」を持って『今』を肯定することが、どのようにして未来へと接続されるかがわかる。今の自分を肯定することは、二重の取り組みである。第一に、この今信じている「決して溶けないもの」は、過去の私から見た未来の私が持っているものである。第二に、今から見て未来へと歩き出せる可能性を持つ自分自身を信じることでもある。すなわち、「未来を愛する」とは「過去からみた未来」と「今から見た未来」を内包する『今』を信じ、肯定することと言えるだろう(2)。

 こうした解釈を下支えしてくれるかもしれない印象的な主張をシラユキがマノンに対してしている。

知ってっが?

オラが標準語覚えだのも、マーちゃんと同じ学校さは行ったのも!!

マーちゃんみてぇになりたがったがらやったんだッ!!

オラの憧れの女の子のこと――

それ以上、馬鹿にすんなッ!!

第六話 黄金の海

 シラユキにとって、マノンは未来の自分なのだ。それは、マノンにとってのシンジュやルイもそうである。

 ルイが述べる「『君』は『君』になる」とは、「決して溶けないもの」を持って未来のどこかで自分自身を作りかえること、絶え間なき未来への生成変化なのだろう。未来を愛そう。今ここにいる私を信じ、肯定しよう。私は今ここまで歩いてきた。そして、またきっと歩いて行ける。

 

3.おわりに

 以上では、何度も繰り返される「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」という主張を本エピソードの主要なテーマである「決して溶けないもの」に沿って解釈し、またそれをもって全体のテーマとなっている「未来を愛する」ことについて読み解いてきた。

 Episode 5.0には後を追う者たちがどうするべきかというのが色濃く表れている。この時、私は大胆にも以下のような図式を示したい。

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 Episode 5.0の彼女らはたしかに後を追うものだがここには三つの岐路を設定できる。第一の岐路についてである。印象的にもルイは「決して溶けないもの」を持つためには、「燃え滾る熱い心の炎で燃や」すことが必要であると述べる。この「燃やす」という表現を大袈裟に捉える必要はないかもしれないが、あえてそうしてみよう。すなわち、「決して溶けないもの」を生み出すために燃やし続けて、すべてが灰となってしまうAXiSへの道を。そして第二の岐路として、777☆Sだ。最も幸運な形態だろうか、しかし、彼女らは去ってしまった。この解釈はまだ開かれたままとなっている。そして、第三の岐路がセブンスシスターズである。奇しくも、Episode 0.7のテーマが「溶けてしまうほどの愛」である。ここで提起された愛の形態とは「決して溶けないもの」への信であるにもかかわらず、そうではない愛の形態とはどのようになるのだろうか。強い想いを見つけられたことは幸運かもしれないが、それがあまりに強すぎたとき、たどる顛末はすでに読んだ人ならばご存知だろう。

 私が次に向かう道はこれだ。Episode 0.7へと戻らなければならない。彼女らが知る「愛」と5.0で描かれたものと距離を見極めねばならない。

 

 

(1)3ページ目:『Tokyo 7th シスターズ(ナナシス)』茂木伸太郎インタビュー|0.7、5.0を振り返る | アニメイトタイムズ

(2)全く余談ながら、「過去から見た未来」という語はラインハルト・コゼレックのFutures Pastから知った。