歳末感謝セール

 慌ただしくクリスマス飾りが片付けられ、すみやかに正月飾りで彩られていくのを見ているとどことなく焦燥感に追われる。こんにちは。

 僕自身から売り出せるものは何もありません。

 

◆一年を振り返ろうとしたところで、色々ありすぎたようで、あまり過去のことを思い出せない人間であることを思い出す。それでも、「記録、記憶は人生」であるという言葉を胸にしつつ、苦しみを抱いて眠る。

 元々過去に頓着しない上に、写真とかを撮らないから、ふとした人との会話、街の光景、におい、音楽でフラッシュバックされることばかりでそれをより大事にしていきたいと思う年末。

 某文学少女に言われたけども、来年はより人間関係を大切にしてみたいし、人に頼って生活をしてみようと思う。

 頼るということを今までしていなかったからこそ、一歩間違えば依存などに繋がるかもしれないけども、どうにかこうにかしていきたいと強く思う今日このごろ。

 一応今年を思い出せる限りで振り返ってみれば、外で活動していたようにも思われる。

 GJ部界隈には、コミケでお世話になり、あの夜の読書に出向いたりして、よく活動していた、今までよりは。

 

◆年内に卒論を終わらせるというのは無茶な計画だったようで、進捗駄目です。50%くらい。

 来年は修士になり、博士にいくかは全くわからないけど、舞城がキミトピアで言っていたように、全ての考えられる可能性を選び続けて、やれるだけのことはやりたい所存。

 とりあえず、6月には学会発表あるし。

 

 よいお年を。

 毎日そういう気分で過ごして、毎日あけましておめでとうという気持ちで過ごす。

 

 


People In The Box-She Hates December - YouTube

年末調整

 激動の一週間を経てネットに何度でも蘇る。よろしい、ならばもう一度。

 神の采配をこれほどかというまでに見せつけられ、スピノザの言っていたことが少しわかったような気もしなくはない。おばんでございます。

 

◆去年の今頃はその年に読んだ聴いたもののベストを発表していたことをふと思い出す。

 ただ今年は専門書しか読んでない上に、あまりCDも買ってないゆえにとくに何か言えるわけでもない。今年出たもので読んだのは神林長平の「だれの息子でもない」だけのような。あと山尾悠子の初期作品集はよかった。

 しかし、今日クリスマスプレゼントかわりに自分に大量に漫画を買う。積み上げられる漫画、学会誌、専門書。

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 ◆先日、新宿のおざ研(

http://homepage2.nifty.com/ozakit/ozaken/)で行われた読書会に参加した。通算二回目。

 夜がふける新宿はいいもので、やはり僕は都市が好きだったのだということに気づく。数年前に神林の「ぼくらは都市を愛していた」で認識したことを再認識する。

 西武新宿前のヤマダ電機は眠りにつき、音のない電光看板。そのなかで、朝日を浴び、呼吸を始める西口にそびえるビルたち。都市は呼吸し、明滅し、蠢き、生きていることを実感する。ベンヤミンアウラの話がちょうど生きた。

 今度の読書会はあの「恋空」らしいです。

 後輩氏にこれを話したら僕が「恋空」を買い、そして「恋空」を読むことを想像するだけで笑いがとまらないと言われ、なんとも言えない気持ちとなる。

 

◆大学に篭って、煙草を吸うか、論文を書くだけの生活をしていると、世間から、社会から切り離され、曜日も日付も消失することを実感する。必要もないけど、クリスマスだということをいちいち意識に遡上させないと忘れるほどに。

 クリスマスを時間から切り離し超越させ、現前させるのはありでしょうか?

 

太陽/中村一義

 

みんな元気

◆論文を書く必要性に導かれてヴィトゲンシュタインの哲学探求を読むことになる。夜戦と永遠と並べるf:id:sui_sugar:20141116024331j:plainと薄く見える。そんなことをしても残念ながら内容が減るわけでも、ページ数が減るわけでも勿論ない。


佐藤友哉が1000の小説とバックベアードで言っていたように「小説を書くような気持ちで書けば全てが小説になる」という言葉を信じて論文を日々執筆する。わりと軽快な文章になりつつ、いつだか小説を書いていたような気分になった。


◆明日は何やら国分寺近くの日立の公園が開くらしいから、いってみようと思っているけども、きっと起きたら午後で諦めることになるだろうということは今から悟っている。同様に楽園追放が公開されたが、これも観に行こうと考えてる間に閉幕となるだろうと今から悟る。


現象学入門などに手を出してみたり、さっぱりであったり、そんな進捗でした。



短い短さ

 もう一月も前のことですが、第二回Twitter読書会ありました。ありがとうございました。

 Togetterでタグを取得しようとしたら、なんでだか出来なくて、全てをふぁぼるという荒業を決めてやっとこさまとめることに成功したものはこちら http://togetter.com/li/699224

 

◆近況

 いつの間にかもうすぐ8月です。8月になるとあれがやってきます。

 大 学 院 入 試

 今はせっせとどこかに捨ててきた英語の知識を拾い集めては、再構築しようともがいている。何が辛いって、そんなに面白く無い

 

 8月になるとあとあれもあります。そうみんな大好きコミックマーケットです。

 なんと私、GJ部の合同誌に寄稿することになりまして、何かの手違いがなければ載っているはずです。内容は「GJ部」及び「GJ部魂」はなにかということを、ウィトゲンシュタイン言語ゲームハイデガーの存在論という両極端からのアプローチで考えてみた、というものです。

 よろしければ手にとって見てください。よくは知らないけども、ものすごい人数の人が載っているようです。

 

 Peole in the box、downy、きのこ帝国のスリーマンで、初めてdownyを観たが、最高だった。最高すぎて終始溜息しか出なかった。

 


downy - 左の種 hidari no tane PV - YouTube

第二回Twitter読書会

 前回やってから早いことにすでに四ヶ月あまり、なんて恐ろしいことだ。諸事情によりそんなに経ってしまいました。さて二回目です。

 2014/6/28(土)22:00から翌日の6/29(日)22:00までやります!

 課題図書の方ですが今回はこちら…

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 坂口安吾『私は海をだきしめていたい』

 夏になる直前、7月に入る直前「海」というものを考えてみてはどうでしょうか(そこまで夏かどうかは置いといて)

 非常に内容がいいことは勿論ですが半分くらいこのタイトルで決めました

 こちらの作品は青空文庫で読むことができる上に長くないので是非読んでご参加ください

 青空文庫のページはこちら http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42909_23103.html

 読書会の内容は至って簡単。開催期間中ハッシュタグをつけて思い思いの感想を述べていただくだけです。読書会前に一度読んでいただけると大変助かります。

 どなたでも大歓迎。覗くだけでポストしなくても大歓迎。参加するときは感想や意見、考察にハッシュタグを添えてポストするだけ。そして、他の方の意見も参考に互いに意見をくみかわしつつ、作品に対する思いを深めていただければ嬉しいです。

 つまり…

 

 本を読んで自分の思ったことをハッシュタグをつけてポストする!

 ハッシュタグは#twi_dokushokaiです!

 

 よろしくお願いします!!!

 

WIXOSSを少し考える

 先日GJ部の特別番組としてGJ部@やりましたね。最高でした。こんばんは。

 日々「GJ部」とはなにか、「GJ部魂」はなにかということを考えてます。

 何やらGJ部合同誌というものに参加することになりました。ブツはまだ全く書いていないけども。

 

◆WIXOSS面白い。これをどうやったらウィクロスと読むのかさっぱりわからないけど。

 最新話であきらっきーが負けた時のブチ切れた感じは非常に人間味溢れていていいですね、最高ですね、僕は好きです。

 さて作品中では少女たちは「無限少女」を目指して戦うわけですが、まずこの無限少女と聞いて、ニーチェかよとか適当なことを思っていたが…

 今回の話を見てもしかしたら本当かもしれないということに気づいてしまった。

 以下ざっくり考えただけのこと。

 「疎外」というとマルクスをまず思いつきますが、その前に考えた人がいます、そうヘーゲルでした。

 ヘーゲルの「疎外」とは次のようなものです。

 『人間が自分の内面の力を、そして、まだ可能性としてだけ自分のうちにあったかたちを、外の世界に浸透させていって、そのなかにあらわすこと、いわば自分の映像を実現すること』

 これを「対象化 Gegenständlichung」と呼びます。またざっくり言ってしまえば「疎外」とも言えます。

 例えば、私はいまこうやってブログを書いていますが、書いていくほどに、同時に自分のうちにあったブログを書くという実現の可能性は失われていくことになります。それは否定的な意味ではなく、頭のなかのイメージにすぎなかったものが、ブログとして独立していくことを意味しています。完成したもの(対象 Gegenstand)は、自分に「たいして gegen」「立つ stand」、独立した存在となっていきます。

 もちろんこの過程で独立した存在となったものは、自分が書き上げたものにも関わらず、書こうとしていたものとは違い、自分で書いたものではないようなものとして立ち上がります。このことを、「疎外 Entfremdung」といいます。

 主体は対立した疎外に立ち向かうことによって、反省を迫られます。ざっくり便利に使いますが、自己の現段階の能力否定してくるもののさらなる否定によって自己を高める事が可能になる、止揚することが求められます。疎外に対して「反省 reflexion」が必要となります。

 対象化、そして反省の循環が求められます。

 

 前置きが長くなりましたが、ウィクロスの話。

 少女たちは基本的になんらかの願いを持っています。その願いを対象化した存在がルリグと捉えることができるでしょう。ルリグは少女らの願いであり、少女から疎外された存在として立ち上がります。

 だからこそ、眼鏡の子(名前忘れた)は負けたときに、彼女の願いを現前したルリグが消えることによって、彼女のなかにあった願いの可能性は消えてしまいます。だからこそ、彼女は友達のことを忘れてしまいます。止揚の契機が失われると同時に、彼女のうちの可能性はルリグという対象にあったためそれも失われます。いやー厳しい。

 ここでわかったことは、ウィクロスで求められていることは「反省」が求められているということです。

 ここでわかったのはルリグとはなんだったのかということだけ。あと残るのは「無限少女」になるための条件が三勝だけではなく何かということ、戦いとは何を表すのかということでしょうか。

 前者についてですが、ここで登場ニーチェさん。ざっくり言えば対象への強い肯定ではないでしょうか。

 後者はやはりざっくり言えば宇野氏が「ゼロ年代の想像力」で言っていたような、サヴァイヴ世代を表象しているのではないでしょうか。

 と、考えていたことは以上です。

 

GJ部論を延々と繰り広げているわけですが、それについても後日簡単にまとめられればいいかなと思います。

 なんでこんなことになってしまったかを考えずにはいられない。

 そういえば、ズヴィズダー考察もすっかり忘れていた。あれは現代版階級闘争だよたぶん。ヘゲモニーと闘技だよたぶん。

 

 ではでは。