Tokyo-7th Sisters Episode 5.0 Fall in Loveによせて

 おばんです。

 もうだいぶ前にナナシスのEpisode 5.0が終わり、私も遅ればせながら読んだのでまた覚え書きです。本エピソードは、何よりもまず驚くべきは時は4.0の2034年から流れ、2043年の話という点である。あのAXiSの激闘から数年が経過し、ナナスタは以前のような小さい事務所ではなく、4.0の最終話の最後の最後で華々しく仕事が多く舞い込み、その後おそらく年月をかけていまや多くの人々を雇う事務所となっている。しかし、そこには2034年時点で華々しい活躍をした777☆Sのほとんどの面々、そして六咲コニーの姿はない。777☆Sの他のメンバーとは異なり残された芹沢モモカは2代目マネージャーを就任し、同じくメンバーだった晴海シンジュは当時コドモ連合といわれた有栖シラユキ、星柿マノン、ターシャ・ロマノフスキーとともに新たなユニットとしてSeason of Love(SOL)を結成している。当時、子供といっていい年齢だった彼女らは、ティーンエイジャーを迎えたり、成人したりしている。

 本エピソードは、そうした取り残された、または新たに未来へと歩もうとする彼女らの物語である。副題が今回は「Fall in Love」であり、また「未来に恋する物語」として位置づけられている(1)。Loveを愛か、恋かとどのように取るかは解釈の余地が多分に残されているが、ここではその違いについて踏み込まない。

 本稿で、問いとしたいのは、そもそも「未来に恋する/を愛する」とはどういうことか、ということである。未来とは、一見時間が過ぎれば当然のごとく到来してくるものであるかのようでもある。しかし、現在を肯定し、積み重ねることは単純に未来を到来させ、「未来を愛する」ことに繋がるのだろうか。未来はいくつかの点から分析できるが、現在から予期される後のことであり、あるいは現在に接しながらも永遠に来たるべきものとしてとどまってもいる。

 ここでは、本エピソードのいくつかの話に触れつつこの問いにいくらかの方向性を与えたい。そのために、以下では二点に沿って考察を進める。第一に、本エピソードのおそらく最も核となるテーマである「決して溶けないもの」についてである。これまでもエピソードの重要な場面において主張されてきた「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」が反復され、「決して溶けないもの」はその主張をより明確にしているように思われる。この考察を経て、第二に「未来を愛する」ことについて明らかにしていく。

 

1.決して溶けないもの、黄金。あるいはIn Memory of Louis

 本エピソードにおいて、「決して溶けないもの」または「黄金」と呼ばれるものを読み解くことは難しいわけではない。気づかれている方も多いだろうが、重要なことは大人、アイドル、未来といった多用されるフレーズを分節化することである。すなわち、社会に広く共有され規範として作動する時計時間的な概念と、諸個人の内在的な経験に働きかける生きられた時間に沿う概念とをである。便宜的に時計時間的なものを〈〉つきで、生きられた時間によるものを『』つきで表現しよう。

 このとき、あのフレーズは「『アイドル』は〈アイドル〉じゃなくてもいい」と理解できるだろう。『アイドル』であることは、〈アイドル〉のように資本主義システムの内で形成されたTVショーや雑誌、歌、ダンス、さらにはステージにのぼらなくてもいい。『アイドル』であることは、以下で明らかにしていく個人の経験の内で涵養される「決して溶けないもの」という信念を抱いてさえいればいいのだ。しかし、本稿で主題とすることはないが、この一つの語に二つの概念が重なられることによる緊張感、そして時計時間の圧力の強さは指摘しておいてもいいだろう。幸運にも時計時間と生きられた時間が重なるケースは存在する。〈アイドル〉であることがティーンエイジャーかせいぜい成人を越えたくらいが望ましいと共有されている社会において、その頃合いに信念をもって『アイドル』となれたものは非常に幸運である。しかし、そうではないケースもある。そうした社会において〈30歳〉をすぎても『アイドル』を目指すものは〈社会〉から白々しい目で見られてしまう。また逆のケースとして、女性や男性の〈アイドル〉をもっぱら性的な対象として暗に見てしまうようなところで、それを良しとして『アイドル』となるものは、もしかしたら疑わしく思われてしまうかもしれない。なお悪いことに概ねそうしたズレが生じるケースにおいては、否定的な諸観念を増長させてしまう。「30歳にもなってアイドルなんて」とスティグマ化したり、後者の例の成功はより客体化の傾向を強めてしまう可能性がある。しかし、ここにはもちろん意味を転覆させる可能性もある。それぞれの何らかの仕方での成功は、既に存在する〈アイドル〉の規範を転覆し、新たな規範を分岐させるかもしれない。そう、フーコーがクイアという概念を転覆させたように。

 ともあれ、話がそれたのでまず大まかな物語の流れを確認しておこう。本エピソードでは、「決して溶けないもの」というテーマが共有されつつもそれぞれのキャラクターの内で語られている。その中で、特に主要人物となるのが星柿マノンであり、また2034年から取り残されてしまった芹沢モモカ、晴海シンジュである。それぞれのキャラクターに焦点を当てていこう。

 まず星柿マノンについてである。彼女は17歳、高校二年生になりSOLのメンバーとなる。彼女はアイドルとして活動していく中で、また高校二年生という進路の分岐点にあって悩んでしまう。すなわち、SOLには2043年のアイドルブームの再来をつくった最早伝説と言ってもいい777☆Sのメンバーであったシンジュを間近にして彼女に憧れつつも、どうしようもなく自身の凡庸さを感じてしまう。マノンは、シンジュに社会の内でスターと見られる〈アイドル像〉を重ねてしまい、それに対して自分はあまりにもありふれていて、普通の女子高生で彼女には届かないと考える。また高校二年生の進路選択という契機にあって、アイドルになるのか、でもそれはあまりにも凡庸な自分にとっては信じられない話であり、社会が規範として要請する〈大人〉になったほうがいいのではないかと考える。

 そこで、象徴的に取り上げられるのが「魔法のステッキ」である。彼女は子供の頃から魔法少女に憧れており、その象徴としてステッキを自身を奮い立たせるおまじないの道具として持ち続けていた。しかし、そうしたステッキはどう考えても〈子供〉のおもちゃであり、立派な〈大人〉や〈アイドル〉になるには相応しくないと思い悩む。以下で論じるように、こうしたステッキは「決して溶けないもの」に対比されるように、心の奥底に箱に入れ、鍵をかけてしまいこまれてしまう。以上のように、マノンはかつて777☆Sのメンバーであったシンジュに〈アイドル〉の理想像を見出し、同時にそれに追いつけ追い越せと〈時間〉にせかされ、〈大人〉になろうともがく。そのために、象徴的な〈ステッキ〉を捨て去ろうとする。

 これらの解釈は彼女のいくつかの主張から読み取ることができる。

どうして

落ち着いてよ

魔法……魔法……お願い

ダメだ……こんなものに頼ってちゃ

本物の、アイドルみたいに――ッ!

第四話 帰らない魔法 

アイドルになれないのならせめて、大人にならなきゃ……ッ!

私は……大人にならないといけないの

第四話 帰らない魔法

だから……だから大人になろうと思った!!

アイドルとしての才能がないのなら

アイドルらしくなれないのならせめて、大人になろうと思ったの!!

なのに!未来はどんどん迫ってくる!毎日毎日、迫ってくるッ!

第六話 黄金の海

 次にモモカとシンジュについて見ていこう。777☆Sの他のメンバー、そして六咲コニー、もとい七咲ニコルがナナスタを去ってしまったにも関わらず、彼女らはナナスタに居残り、去ることはできなかった。モモカは去ってしまったコニーに対して「なぜ去ってしまったのか」と問うことができず、いつ彼女が帰ってきてもいいように事務所を彼女が去ったときと同じのままに固定し、彼女がかけていた眼鏡をかけることで〈マネージャー〉という役割を全うすることによって、過去を閉じ込めてしまった。

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第三話 遠い日の夏陰


 またシンジュは、コニーがナナスタを去った出来事に対して向き合うことができず、〈時間〉の変化に身を任せて、ただその出来事を過去の海へと埋めようとしていた。

私はきっと

怖かったんだ。

変わっていく世界、変わっていく自分、変わっていく私たちが。

だから、自分から変えようとした。

大切だったから、なくしたくなかったから、自分の胸の奥に仕舞って、鍵を閉めてしまった。

そんなことをしたって、失くなったものは戻らないのに

第五話 フォール・イン・ラブ

 以上のように、彼女らに共通する要素とは次の点である。過去に抱かれていた大事な思いを箱に閉じ込め、鍵をかけ、深く沈殿させる。そして、沈殿物を〈〉つきの要請に対する遂行によって、より深く過去の層へと閉じ込めようとするのである。

 こうした思いの閉じ込めに対して、転機となるのが度々繰り返されてきた「アイドルはアイドルでなくてもいい」という主張と、「決して溶けないもの」という信念形成である。この点において、マノンが主軸となっており、明示的に表れているので彼女の物語を進めていこう。

 ここで、重要な転機をもたらす人物の一人として、ナナスタにふらりと訪れた姫宮ソル、かつてセブンスシスターズで若王子ルイとして活躍していた人だった。彼女は、ステッキを捨て、ただただ立ちすくむマノンを連れ出し、話を始める。ルイはマノンから、大人になることかはどのようなことかと問われ、それに対して次のように答える。

そうだな

いくらでも綺麗事が言えるようになる、かな。

だから、もし君が望むなら

今ここで生きる意味だとか、人に優しくする理由だとか、実は不幸な自分の過去だとか――

君は一人じゃないよーだとか、いくらでも言えてしまう。

それが大人ってやつだ。

第五話 フォール・イン・ラブ

 しかし、当然これはマノンが望んでいた解答ではない。マノンが望むのは〈大人〉になることではなく、『大人』になることなのだ。それに呼応するかのように、ルイは次のように話を続ける。

 マノン、人はね――

『自分』から逃げることはできないんだよ。

たとえどんなに素晴らしい才能があっても、どんなにたくさんの経験を積み、大人になっても、失敗も、後悔も、寂しさも、きっとなくならない。

でも――

それが『君』なんだ。

それが君の人生なんだ。

嫌だったら逃げればいい。怖かったら隠れればいい。誰かのせいにして、自分に失望して

でも、どこまで行っても自分自身から逃げることはできない。

辛いだろ?辛いよな?

でも、そんな辛く険しい人生の中で

君が君のことを信じてあげなかったら、誰が君のことを信じてあげるんだい?

(中略)

もし、それが心の中にあるのなら

心の中の小さな部屋に、鍵をかけて大切に仕舞いこんだりしないで――

燃やすんだ。そいつを。何度も何度も。

それがいつか――

『決して溶けないもの』になる。

第五話 フォール・イン・ラブ

 「決して溶けないもの」を抱くことが『大人』になる鍵である。すなわち、マノンの〈子供〉のものとしていたステッキ、モモカやシンジュが吐露することが出来なかった過去の思い出は仕舞いこまれ、鍵をかけられるべきではない。むしろ求められるのは全く逆の実践である。それを取り出すだけではない。辛く険しい人生の中で、その大事なものをつねに燃やし続け、換言すればその状況に耐えうるかテストにかけ続けることによって、「決して溶けないもの」になる。社会において共有されている規範に基づく〈〉つきの要請に応え、何か大切なものを捨て去るのではなく、それらの中で生じる数々の出来事の中でその人の内に、その人だけに生じる大切な何かを作ろうとする過程、そして作り上げられたものこそ私たちは求めるべきなのである。

 ここで、作中に何度か挿入されたマノンの777☆Sの春日部ハルとの回想が接続される。ハルは、マノンに次のように伝えている。それこそが、「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」である。

 

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第五話 フォール・イン・ラブ

 先に見たように「『アイドル』は、〈アイドル〉じゃなくてもいい」と読み替えられる。つまり、社会、そして資本主義に要請される〈アイドル〉になるのではなく、「決して溶けないもの」を持ち続けることこそが『アイドル』になることなのである。

 ここにきて、episode 4.0におけるアイドルとは誰を指すのかという議論に対して少し違った角度から迫ることが出来る。4.0では、誰かの背中をおすこと、それはただ〈アイドル〉だけがなせるものではなく、見ているファンを含めて、全ての人間が誰かの背中を押しており、その点において皆『アイドル』である。ここでは、異なった要件として「決して溶けないもの」を抱き続けているものが追加されることになるだろう。

 蛇足ながら、こうした一連の主張は私が好きなバンドの一つであるPoet-type.Mの「ダイヤモンドは傷つかない(In Memory of Louis)」という曲と重なる。少しだけ歌詞を引用しておこう。

「気にしないのは罪悪かい?

泣けない「悲しい」を恐れちゃ駄目さ。

そう君の君はずっと、もっと、素敵だよ、素敵だよ。」

想いを込めた沈黙は軽い言葉の歌詞じゃ傷つきやしない。

ありとあらゆる種類の「YES」はもう君の瞳に溢れるほどに。

Poet-type.Mの「A Place, Dark & Dark -ダイヤモンドは傷つかない- 第二章 夏 - EP」をApple Musicで

 「決して溶けないもの」を生み出すために燃やし続けることは、〈〉つきの社会の軽い言葉たちに惑わされてはならない。鍵を開けて、取り出し、そして肯定し続けることである。

 

2.未来を愛する?

 以上では、『』つきと〈〉つきの要請とを区別し、前者にコミットし続け、その過程で涵養される「決して溶けないもの」を抱き続けるものこそが〈アイドル〉であると明らかにした。ここでは、主題となる「未来を愛する」について見ていきたい。

 まず本エピソード内で「未来」に関わる主張をいくつか取り上げることから始めよう。まずマノンはこう述べる。

きっと、この時間は永遠じゃないんだんあーって。

だからこそ、精一杯、『今』を頑張るんだなーって。

だって、『今』を一生懸命やれなかったら

いっぱい傷ついたり、いっぱいしたりしなきゃ、ああ〔ルイのように〕はなれない。

今ある失敗も、後悔も、寂しさも、全部含めて『私』なんだって

第六話 黄金の海

〔〕内は筆者による補足

 またルイは最後の印象的かつ素晴らしいカットで次のように述べる。そこでは、黄金のように輝く夕暮れの海辺でモモカがルイに対してこれまでのコニーへの想いを独白しているときに、コニーがやってくるカットである。

そういう〔モモカがコニーへと抱いている〕大事な想いは

君が大切に育てたその想いは

『心の中の黄金』だから

だから自分の口で伝えたほうがいい

想いは消えない

燃え滾る熱い心の炎で燃やしたそれは

失敗も、後悔も、寂しさも飲み込んで

いつの日か

溶けることのない『黄金』になるんだ

来た、みたいだね――

――私たちの『黄金』

 

彼女はもう六咲コニーじゃない

私の知ってる七咲ニコルでもない

ただの人間で、ただの女の子だ

たくさんの過去とたくさんの未来を持った

たった一人の女の子

そして

いつまでも私たちの心の中にある『黄金』

さぁ、行っておいで

走れ、若者よ。未来へ

そしてまた、いつの日か

『君』はまた『君』になるんだ

ほら、また――

夢が始まるよ

第六話 黄金の海

〔〕内は筆者による補足

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第六話 黄金の海――やってくる彼女に駆け寄るモモカとシンジュ

 これまでの議論より、『今』を肯定することは「決して溶けないもの」または「心の中の黄金」を抱き続けようとすることであるとわかる。しかし、それは果たしてどのように「未来を愛する」ことへと繋がるのだろうか?

 ルイはやや比喩的に、未来を持ったかつてコニーやニコルであった彼女を迎い入れるために走りだりていくことを、「未来へ」と述べている。「未来へ」と向かうための条件として「決して溶けないもの」を持っていなければならない。

 ここで、鍵となるのはその後に続いて述べられる「そしてまた、いつの日か、『君』は『君』になるんだ」という主張である。「決して溶けないもの」を抱くことは『アイドル』であるための条件なだけではなく、社会に要請されるのではなく本来の『自分』になるための条件でもある。すなわち、これこそが『今』の肯定である。この主張を未来に接続するにあたって、上記でも少し触れたepisode 4.0におけるアイドル像を参照することが役立つ。

 私はその点について次のように解釈した。ハルの4.0の13話における長い独白において述べられた「自己を超えること」、そして「あなたは私のアイドルです」という主張が要点となっていた。この時、私たちはつねに誰かの先を行くものであり、同時にその先を追うものでもある。追いついてたどり着いては、また先に行くものを見る。そして、また追いつくために自分の足で前へと歩きださなければならない。ここに一つ「未来」のようなものを見出せる。私たちの先を行くものたちこそが「未来」なのだ。先に行くものは必ずしも他者でなくてもいいが、より重要な点がある。

 それは先を行くものは「決して溶けないもの」を持っており、そのことによってその人を信じなければならない点である。先を行くものを信じることは、同時に後を追う自分自身が「決して溶けないもの」によって、その未来まで歩いて行けるであろう自分自身を信じることでもある。そして、同時に今ここに「決して溶けないもの」を抱いてたどり着けた自分自身を信じ、肯定することでもあるのだ。

 この時、「決して溶けないもの」を持って『今』を肯定することが、どのようにして未来へと接続されるかがわかる。今の自分を肯定することは、二重の取り組みである。第一に、この今信じている「決して溶けないもの」は、過去の私から見た未来の私が持っているものである。第二に、今から見て未来へと歩き出せる可能性を持つ自分自身を信じることでもある。すなわち、「未来を愛する」とは「過去からみた未来」と「今から見た未来」を内包する『今』を信じ、肯定することと言えるだろう(2)。

 こうした解釈を下支えしてくれるかもしれない印象的な主張をシラユキがマノンに対してしている。

知ってっが?

オラが標準語覚えだのも、マーちゃんと同じ学校さは行ったのも!!

マーちゃんみてぇになりたがったがらやったんだッ!!

オラの憧れの女の子のこと――

それ以上、馬鹿にすんなッ!!

第六話 黄金の海

 シラユキにとって、マノンは未来の自分なのだ。それは、マノンにとってのシンジュやルイもそうである。

 ルイが述べる「『君』は『君』になる」とは、「決して溶けないもの」を持って未来のどこかで自分自身を作りかえること、絶え間なき未来への生成変化なのだろう。未来を愛そう。今ここにいる私を信じ、肯定しよう。私は今ここまで歩いてきた。そして、またきっと歩いて行ける。

 

3.おわりに

 以上では、何度も繰り返される「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」という主張を本エピソードの主要なテーマである「決して溶けないもの」に沿って解釈し、またそれをもって全体のテーマとなっている「未来を愛する」ことについて読み解いてきた。

 Episode 5.0には後を追う者たちがどうするべきかというのが色濃く表れている。この時、私は大胆にも以下のような図式を示したい。

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 Episode 5.0の彼女らはたしかに後を追うものだがここには三つの岐路を設定できる。第一の岐路についてである。印象的にもルイは「決して溶けないもの」を持つためには、「燃え滾る熱い心の炎で燃や」すことが必要であると述べる。この「燃やす」という表現を大袈裟に捉える必要はないかもしれないが、あえてそうしてみよう。すなわち、「決して溶けないもの」を生み出すために燃やし続けて、すべてが灰となってしまうAXiSへの道を。そして第二の岐路として、777☆Sだ。最も幸運な形態だろうか、しかし、彼女らは去ってしまった。この解釈はまだ開かれたままとなっている。そして、第三の岐路がセブンスシスターズである。奇しくも、Episode 0.7のテーマが「溶けてしまうほどの愛」である。ここで提起された愛の形態とは「決して溶けないもの」への信であるにもかかわらず、そうではない愛の形態とはどのようになるのだろうか。強い想いを見つけられたことは幸運かもしれないが、それがあまりに強すぎたとき、たどる顛末はすでに読んだ人ならばご存知だろう。

 私が次に向かう道はこれだ。Episode 0.7へと戻らなければならない。彼女らが知る「愛」と5.0で描かれたものと距離を見極めねばならない。

 

 

(1)3ページ目:『Tokyo 7th シスターズ(ナナシス)』茂木伸太郎インタビュー|0.7、5.0を振り返る | アニメイトタイムズ

(2)全く余談ながら、「過去から見た未来」という語はラインハルト・コゼレックのFutures Pastから知った。