Episode 4.0 AXiSによせて

 おばんです。

 以下は、タイトルの通りTokyo 7th SistersのEpisode 4.0 AXiSが無事完結したことに寄せてのただの覚書です。

 本エピソードは、総監督である茂木氏が語るようにナナシスという大きな物語である全体の起承転結のうち転にあたるものである。これまでエピソードと比べても気合の入りようは格段に違う。全13話構成であり、最終話である13話は60分と大ボリュームとなっている。さらに演出において、今までは使いまわしの背景に対して、キャラクター絵をはめ込んでいたが、アニメーション演出をふんだんに盛り込んでいる。またこれまでの主要となるエピソードを象徴するリードトラックが存在していたが、今回もまたある。後述するようにAXiSのHeaven's Rave、COCYTUSであり、また13話のEDである777☆SistersのNATSUKAGE -夏陰-である。

 本エピソードの大筋は以下となる。かつてアイドル界を席巻したセブンスシスターズのそれぞれのキャラクターと同じ声を持つAXiSが登場。彼女らの目論見はアイドルとそれらにまつわる世界を滅ぼすことであり、そのために777☆Sistersに勝負をけしかける。エピソードの後半につれて明らかになるように、この勝負の行方に何を彼女らは見出すのだろうか、というのが問いとなっている。

 この覚書には多くのネタバレを含む。まだ全てのエピソードを読み終えていない諸君は回れ右だ。はやく読みたまえ。

 一応、覚書といえども目的を設定しておこう。二点になる。一点目として、AXiSが提出した問いに対して、777☆Sistersのみながどのように応答したのか、を確認することであり、二点目としてその応答を吟味することである。

 

 1.翼・灰・exit

 まず本節のタイトルを明かす前にAXiSの主張を確認しよう。メンバーは6人いるものの、中心的人物である天神ネロの主張を見れば、それはほとんどAXiSの主張として受け取れる。天神の来歴は次である。彼女には、アイドルを目指した姉がいた。しかし、姉はセブンスシスターズに及ぶわけでもなく、ただアイドルとして成功できるわけでもなかった。さらに悪いことにセブンスと同じ声を持つ天神の存在によって同時に、精神を病んでいき、ほとんど寝たきりになってしまう。天神の主張の枢要の一つはここにある。「セブンスの呪い」、それは第一に一世を風靡したにも関わらず突如解散したことによりファンたちを裏切り、彼ら彼女らに大きなアイドルに対する不信感を植え付けたことであり、第二にセブンスは「皆の手を引く、元気に、笑顔にする」と言っているにも関わらず、ファンを裏切った、のみならず知らず知らずのうちに天神の姉ように敵を生み出し、蹴落としていった。セブンスの行為とは裏腹に存在し、禍根として持続する欺瞞や裏切りである「呪い」を、むしろこの「呪い」を利用することによって打ち砕くことがAXiSの狙いである。彼女らの矛先は、ただアイドルのみに向かうわけではなく、ファンなどアイドルまつわるもの全てに向かう。AXiSの他のキャラクター像に象徴するように、ただファンはアイドルを性的に消費したり、囲いとなったり、すぐに移ろっていってしまう。AXiSは、こうしたファン、産業などを含めたアイドルにまつわるもの全てが消し去られることを狙う。

 天神はセブンスの後継となった777☆Sistersのうちに同様の欺瞞を見出す。特に777☆Sistersの主人公といってもいい春日部ハルはこの問いに執拗にさらされる。春日部は「ただ誰かを笑顔にしたくて、背中を押したくて、そして光になりたくて」、アイドルをやっていたにも関わらず、その行為が天神の姉のように敵を生み出し、そして蹴落としていってしまったのではないか、真逆のことを結果として生み出してしまったのではないか、と懐疑に陥ってしまう。

 AXiSは以上の狙いのために、777☆Sistersにライブで負ければどちらかが解散という、勝負をしかける。AXiSが勝って777☆Sistersが解散し、その上で自分たちも解散。あるいは777☆Sistersが勝って、AXiSが解散することになったとしても、天神が自殺を企図することによってファンに衝撃をもたらす。どちらに転んでも、アイドルは消滅し、二度とアイドルなど生まれないようにする。これが大筋となっている。

 天神の主張やAXiSの唄ではこうした狙いを裏付けするように印象的なものが多い。例えば、天神は多くの箇所で「灰にしちゃるけん」という。さらに天神は最終話で自殺を企図する際に、象徴的に姉に語りかけるように「翼があったらよかったのにな」という。またHeaven's Raveの歌詞には、「連れてってあげるよ天国へ まだまだ騒ぎ足りないの 現実捨ててこれたなら その目を見つめてあげるよ」とある。灰、翼、天国といった象徴的な言葉はAXiSの主張を非常にわかりやすく表している。今ここにある世界―アイドルにまつわる世界―を燃やし尽くして灰にすること、そして翼によって天国あるいはこの世界ではない外部への脱出 Exit である。

 蛇足ながら、AXiSの主張を目にしたときに私自身、非常に驚いた。これは近年日本でも取り上げられ注目されている加速主義の主張に酷似するからである。加速主義の立場は様々なものがあるが、特に最もラディカルであるニック・ランドの思想とAXiSは符合する。ランドは、現在の資本主義の力を解放し、徹底的かつ破壊的に推し進めることによってこの世界からの脱出Exitを目指す。資本主義=アイドルの力、呪いによる推進こそが天国へと繋がるのだ。

 

 2.歩くこと・今ここ・自己信頼

 前節でAXiSの主張について確認できた。私たちはここでこの覚書の目的の一つである応答について確認できる。

 春日部の12話や最終話における台詞から読み取ることができる。

ねぇみんな、聞いて。

もうすぐAXiSとの戦いの日が来るね。

私たちは勝てないかもしれない。

解散してしまうかもしれない。

消えてなくなってしまうかもしれない。

戦わなくたって、誰も文句は言わないと思う。

だけど、それでも私たちは、ここまで歩いてきた。

自分の足でここまで歩いてきた。

勝ちたかったから?違うよ。

私は、私を超えたかったから歩いたんだ。

なんでこれをするのか、なんのためにここにいるのか、そういうことから逃げたくなかったから、歩いたんだ。

そうやって歩いて、私は今、ここにいる。

私はもう逃げない。目を背けない。戦うよ。

勝つためじゃない。負けるためでもない。

自分に嘘をつかないために戦うんだ。

もし負けて解散するとしても、私は後悔しない。

解散するから、なんだっていうの?

そんなことで、私たちのやってきたことは、歩いてきた道のりは、消えない。

アイドルは消えないんだ。

Episode 4.0 AXiS 12話より

自分の足で――”青空”(ここ)まで、歩いてきた!!

Episode 4.0 AXiS 13話より

まず、はじめに私はみなさんのことを、よく知りません。

それに、きっと気の利いたことも、誰かを救うような言葉も言えないから、自分のことを、私たちのことを、話そうと思います。

私たち、歌や踊り、たくさん練習しました。今までたくさん負けちゃいそうなときも、折れちゃいそうなときもいっぱいあった。みんなもそうでしょ?

負けそうなとき、苦しいとき、悲しいとき、ひとりだって感じて、自分が何でここにいるのか、どうして生まれてきたのか、わからなくなる、そんなときが。

同じだね、同じなのに、ごめんね。

私には、『あなたはひとりじゃない』なんて言えない。

私たちは他人だもん。

私は、あなたじゃないもん。

あなたはひとりぼっちかもしれない。

あなたの過去は、やりなおせないかもしれない。

あなたの未来は変えられないかもしれない。

でも、いつか、そう思う日がきたら思い出してください。今日、あなたがここにいたこと、あなたが、私の背中をおしたこと。

だから、あなたは、私のアイドルです。

ありがとう、あなたがここにいてくれてよかった。

 Episode 4.0 AXiS 13話より

  読んでわかるように、AXiSとのコントラストである。AXiSが主張する灰、外部への脱出、天国へ、ではない。777☆Sistersがアイドルとして目指すことは、翼によって羽ばたいていくことではなく、「歩いて」、そして「今ここ」にたどり着いたことそのもの、軌跡、自分の足を信じることである。

 こうした主張は、ラルフ・ワルド・エマソンを思い起こす。エマソンが主張する自己信頼や円に関する議論はこの応答と符合する。エマソンによれば、自己信頼とは、社会に何らかの形で迎合することではなく、自己の奥深くにあるものを発掘し、そして信頼することである。そして、円については、その信頼した地点は一つの円となり、一つの完成となる。だがその描かれた円はそれで完成して終わるのではなく、その外にまた円を描けるのだ、とエマソンは主張する。

 エマソンの思想は、ニーチェが述べるような超人とはやや異なる。自己信頼は、自分自身一人での精進ではなく、他者関係である。私たちの今ここまで歩いてきた道のりは一つの到達点だが、その先を行くものたちがいる。私たちは先を行くものたちを見ては、また新しい円を描くことができる。先を行く他者を信じることは、たどり着くだろう自分を信じることであり、やはり今ここにたどり着いている自分を信じることでもある。

 ここで、春日部の述べる「自己を超えること」、そして「あなたはアイドルです」という主張を理解できるようになる。すなわち、私たちは誰かの先を行くものであり、同時にその先を追うものでもある。追いついてたどり着いては、また先に行くものを見る。そして追い越すために歩き出していかなくてはならないのだ。そうした意味で、先を行く他者がアイドルであり、自身も先を行くものとしてアイドルなのである。

 

 3.おわりに

 だからといって、どちらの道を取るにしても容易なわけではない。

 AXiSの道の険しさは、最終話のライブ時の蓬莱タキによく表れている。彼女は、脱出への恐怖に怯え、失敗してしまう。天国へと至る階段を登れる人間は多くはない。自己を否定する力、死への欲動の肯定という倒錯性を貫ける人間は果たしてどれだけいるのだろうか。

 だからといって、777☆Sistersが選んだ道も優しいわけではない。私たちはたしかに「今ここ」にいるかもしれない。しかし、ここまで歩んできた道は見えているだろうか、途切れ途切れではないだろうか。そして途切れていたとしても、歩んできたんだ、というその身体の感覚、記憶があればいいというかもしれない。しかし、私たちはその感覚や記憶をどこまで保っていられるのか。今や疲弊し、消尽しかかっている。そして、先を行くものたちの光が見えるか。あるいは先を行くものたちの真っ直ぐな光は強すぎて逆光で前が見えなくなっていないか。

 最も不幸なのは、この二つの道の手前で立ちすくんでしまう人々である。倒錯性を貫くほどの勇気もなく、今ここを信じるだけの他者関係も何もない人間はどうするべきなのか。777☆Sistersの道の厳しさの一つは、世界や他者との紐帯である信が途切れてしまっているにも関わらず、その信をどうにか再建しなければならないことである。

 最終話の天神の台詞は印象的である。

偶像やない、こいつは、人間ばい。

Episode 4.0 AXiS 13話より

 他にもこうした台詞は多く見受けられる。私たちは、人間であり、生きていくのだ、と。

 しかし、私にはアイドルを人間にしてしまうことは最も厳しい道を選んでしまったようにしか思えない。アイドルを人間としてしまうことは、全ての人間をAXiSか777☆Sistersか、という岐路に立たせてしまう。そこに逃げ場はない。だって私たちは人間になってしまったのだから、そしてそれはアイドルなのだから。

 そして、比嘉アグリのつぶやきは最も重い問いとなり、またAXiSが投げかけてきた最初の問いにつねに舞い戻らされてしまう。

こういう風にしか世界を愛せなかった人もいるの

Episode 4.0 AXiS 13話より

  私たちは彼岸の他者をアイドルと見なせるか、そしてその他者のアイドルとなれるのだろうか。