年明ける

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 

◆「卒論を前にしてパソコンクラッシュとか、風邪とかひくわけないだろHAHAHA~」とか言っていたら、それは見事にフラグで、鮮やか過ぎるほどの回収力を見せてしまった。

 そう風邪をひいた。

 そう話していたのが夕方四時半くらい、風邪だと気づいたのはその日の夜八時くらい。鮮やか過ぎるほどのフラグ回収力、強大で愛すべき予定調和。

 絶対安静を命じられるままに、三日間寝飽きるほどに、ベッドに張り付き、一日二つ林檎を食べていたらあっという間に治った。林檎は偉大。

 そして、息つく間もなく、六月の学会発表の要旨提出締め切りが明日の零時であることを指導教官に知らされる。いつもどおりの「がんばってねー」という放任さ。がんばります。

 明日までに、なんとかかんとか200字分の要旨を捻り出す。

 

◆三月になると、なんと23才になります。

 先日、恋空の読書会をやり、その恐ろしさを思い知ったあとに、恋空を乗り越えられるようなことが起きた。

 僕は今まで大切な人の幸せとか、自然さのためなら、この身体を百ぺん焼かれてもいいと思うことが優しさとかなんとか思っていたし、そういう点では恋空の優の心境は「お前は私かよ」と思うほどにわかっていた。

 しかし、そうでなくていいんだよ、と初めて人に言われて、他の人にとってはもしかしたら、当たり前のことかもしれないけど、僕自身では絶対に許せなかったことを許してもらうということがここまで生きてきて初めてあった。

 僕は中二病のように、一人で生きていけるし、一人で生きていかなければならないと、荒野を一人でいくようにとずっと思っていたけども、そうでなくていいんだよ、迷惑をかけてもいいんですよと初めて言われてなんだか嬉しかったし、「ああ、それでいいんだ。こんなに簡単なことなんだ」と思えた。

 「あゝ、これがかのコペルニクス的転回か」とか思わなくもないけど、僕にとっては驚愕のことで、ただ女の子に許してもらいたかったんだなということに改めて気づいた。

 同時に、Burger Nudsのエコーの歌詞を心身でもって理解できた。初めて聴いてから七年くらい経つけども。

 

 門田がGDHMのJewel Boxで「俺達ものすごくドジだね たくさんの言葉で薄めて忘れて」という歌詞を強く意識するようになったここ最近。若干言語化して口に出すということにあまりにも重きをおきすぎてしまったからこそ、世の中には喋らなくても伝わることが当たり前ながら多々あって、言葉にするということと距離を見つめなおしていきたい。

 

 ここまで門田の話をしてきたのに、最後に限りなく透明な果実だ。

 新譜は明日届くだろうし、間違いないだろうし、カンパネルラのMVは間違いなかった。

 「わかってほしいから言葉にしない」


限りなく透明な果実「カンパネルラ」 - YouTube