GJ部学会レポート

 こんばんは。

 去年放送された今世紀最高のアニメーション「GJ部」というものがあります。色々私のなかで物議を醸しており、そもそも「GJ部」とは何だろうと遊びで考えた結果が以下の通り。

 

 『GJ部学会レポート』

 

 本稿の目的は「GJ部」及び「GJ部員」とは何かを解明することにある。GJ部のことについては未だに多くのことは知られておらず、はっきり言ってしまえば未知の部分が多いと言わざるを得ないだろう。そもそも「GJ部」がなんと読まれるかということ自体に学会は振り回されている。そのまま「じーじぇいぶ」とも、英語のGoogJobから「ぐっじょぶぶ」、また奇異な人は「ぐっじょぶ」と読むと主張しているが、残念ながらこの読み方はごく少数の派閥の人間であり、学会の見解は、後述する「GJ部員」の別呼が「ジージェイバー」であることから「じーじぇいぶ」であると一致している。しかし、この名称についても学会はやはり紛糾しており、不便だから便宜的にそう読んでいるに過ぎないと顔を真赤にしながら主張するものも少なからず存在する。

 迂遠とはなるが、「GJ部員」についての生態は報告されているため、「GJ部員」から「GJ部」とは何かを推論していこう。

 「GJ部員」とはひとつの名称に過ぎず、他に「部員」「GJer」「er」「ジージェイバー」といったものが確認されている。前述したように学会はこの名称についても少なくない対立がある。またこの名称が同一のものであるという確認が取れておらず、対立はますます深まるばかりである。学会の見解として「GJ部」の読みは「じーじぇいぶ」として便宜的に概ね一致してはいるが、「じーじぇいぶいん」とは読みにくいという意見もあり、これは一考する価値があるように考える。しかし、「ぐっじょぶぶいん」や「ぐっじょぶいん」というのはどうかと聞かれれば、これも勿論読みづらいと言わざるを得ないだろう。

しかし、ここで重要なことはこのような対立に振り回されることなく大きな枠で捉えることにある。「員」「er」というある共通の語句から考察するに、これは帰属を表し、違いは勿論あるだろうが、「GJ部」に帰属する何かと考えることが妥当だろう。「員」「er」という語句を用いることから「GJ部員」は人または人に準ずるものとされている。

さて彼ら彼女らを人、または人に準ずるものとしたときに、どこから来るのか、どうやって過ごしているかという生態は非常に重要な鍵となる。そこで学会で繰り広げられている説を少し紹介したい。

それはまず「GJ部員自然発生説」だ。自然発生説とは生物学的には有名な話であり、「生物が親無しで無生物(物質)から一挙に生まれることがある」とする、生命の起源に関する説の1つである。一般にアリストテレスが提唱したとされている。近代に至るまでこれを否定する者はおらず、19世紀までの二千年以上にわたり支持された。しかし、その後紆余曲折を経て、パスツールなる人物に完全否定された。みなさんも中高生時代に「白鳥の首フラスコ」というものをご覧になられたことがあるだろう。人は無論、無からは生成されない。

ここで「GJ部員」とは人に準ずるものという考察を思い出していただきたい。人に準ずるものならば無から生成されてもおかしくないのでは?と考えられた。後述するが、インターネッツでは時々誰かが「GJ部」というと、どこからともなく次々と「GJ部」と発する例が多く確認されている。これを発するものはその前後24時間程存在を確認されていなくても、「GJ部」と発することから、この「GJ部員自然発生説」を後押しした。しかし、私としては無から人に準ずるものが生成されるという場面は出来れば想像はしたくない。また24時間程度存在が確認されないことが果たして無であるかということが怪しく見える。

次に紹介するものはまだ名称が決まっていない。しかし、これも「GJ部員」の発言から考察されたものだ。その発言とは次のようなものである。「GJ部は私の光だ」「GJ部は私の未来を照らしてくれた」という発言だ。この発言から「GJ部」という光、もとい蛍光灯よろしくであり、それに虫のように集まってくるものが「GJ部員」ではないかという説だ。これも「GJ部員」は人に準ずるものだと考えている。これからわかるように「GJ部員」は走光性をもつと言われている。しかし、これも前述した説と同様に人に準ずるものが、どこからともなく光に集まる/群がっていく場面というものは想像したくはない。

これも無と同様にどこからやってくるのかは判明しておらず、しかし、「GJ部員」は走行性を持っているという生態が明らかになった点で一定の評価を得ている。

ここまで色々説を見てきたが結局は「GJ部員を一人見たら百人いると思え」というところに落ち着くのが適当なように思われる。しかし、これにも裏打ちされる例が確認されている。どうやらGJ部員は年に一度程、秋葉原という場所にある「けいぶっくす」という場所に大勢集合した事例が確認されている。確認された事例から彼ら彼女らはヒト型であり、学会で考えられている人、または人に準ずるものであり、彼ら彼女らこそが「GJ部員」であるとされている。また発見された例として全国的に「ちからめし」という場所でも確認されている。これは秋葉原という場所だけでなく全国的に展開されており、彼ら彼女らの生息地ははっきりしていない。

また前述したようにインターネッツでは「GJ部員」によるものと思われる多くの「GJ部」という発言が確認されている。この現象は、インターネッツにおいてある一人が「GJ部」と発するとどこからともなく「GJ部員」と思われるものが次々に「GJ部」と発する。この現象では一人の「GJ部員」から百人以上の「GJ部員」が芋づる式に発見されることから、やはり一人いたら百人いると考えることが妥当だろう。

しかし、この現象では規則性は発見されておらず、時間、連なる長さ、最初に発する人物はわかっていない。唯一わかっていることは誰かが「GJ部」と言えばまた誰かが「GJ部」と発することだけだ。

また「GJ部員」の間では「富士山」や「天使」という言葉が散見される。この二点から想像されることは信仰めいたものである。「富士山」であれば山岳信仰であるし、「天使」であればキリストやイスラームといったものである。また前述した「GJ部は私の光だ」という発言とあわせて、「GJ部は私を救ってくれた」という発言が多く確認されている。

二番目の説ではこれに頭を悩ませた結果、前者だけを取ったが、「富士山」「天使」といった言葉とあわせて考えると何か符合するものがあるだろう。ここから「GJ部」とは何かの信仰対象であり、またインターネッツで見られる優位性のない「GJ部」発言から、彼ら彼女らは何の階級差もない信仰者たちであると推測される。様々な名称があることは、他の信仰でも多くの派閥があるようなものだと推測される。

 しかし、最初に示したようにそもそも「GJ部」とは何かがわかっておらず、「GJ部員」についても発見が確認されてはいるが未知の部分が多い。そもそも彼ら彼女らがどこからやってきてどこへかえっていくのかも、生息地すらも全く判明していない。秋葉原、富士山、そして全国と拡散しているため皆目検討がつかない。

今後も新たな発見が確認されるだろう。そしてこの説が転覆されるような自体があっても私はさして驚かない。この分野は今後も大きな課題となり続けるだろう。