隣の家の芝は青かった。 と思ったがそんな比較できるような隣人はいなかった

受験戦争に駆り出されてからもう一年と半年以上。僕の戦役は二年で終わるのでしょうか

おばんでございす

同じ学科を受験するやつらを、学科が同じだからという大義名分でジェノサイドするとか、他人を見下し高笑いし蹴落とし手を汚さずに終わるとかそんなに現実は甘くないみたいです

手に血がつかぬ人殺しは痛みがわからないみたいだ

僕らは不慣れで重くかさばりそして膨大な武器を使いこなし戦わなければならない

使いこなせなかったやつは殺られる。それだけのことです

相対性の極みなので、他人が上がり僕も同じように上がれば、目に見える物が違わなかったり

ましてや自分も上がっているが追い付けないがために相対的に下がって見えたり

逆に自分は何も変わってないのに他人が自滅し上がる等々

僕は自分が身に付けた武器で持って他人に相対的でもって勝って終われればなあと思います

さてハンネが少し変わりました

名字をつけたくて何か悩んで、その末に単純に 砂糖 翠となりました

まあ響きも悪かないし見た目も悪くはないし

ただの自己満足です

僕はあのファミリー○ートに売ってるあのチキンが意外と好きなんですが

もちろんそれを買うときにレジのカウンターにて言わなければならないわけです。「ファミチキをください」と

あれ本当に恥ずかしい

まずファミチキってなんだよ。何の略称なんだよ

何故だかわからないがちょっと恥ずかしさを覚える略称なのである

無論商品としては正式名称であるには違いないが、頼んだ時に店員に「ぷっ(笑)あいつ略しやがったよ」とか思われてそうなのだ

その思いを避ければ避けるほど際立ち回避できなくなる。なかなか複雑

またあのローソ○のからあげクンも然り

People In The Boxの波多野さんが仰てたのとまさに同じ感じ

いくら擬人化が好きで無機物を擬人化したりする僕でも、これから食べるものに可愛がるように「クン」なんてつけるなんて恥ずかしい

こんな無愛想な面をさげてどんな心持ちで言えばいいのか全くわからない

日本語の有意性を考えた時、間違っていても伝わればいいのか、はたまた少し難しい言葉を使っても正しければいいのか

ただ伝われば間違っているとは言えないかもしれないし、難しい言葉を使って日本語ということに関して正しくとも伝わらなければ間違っているのかもしれない

そんな間違ってもいいから伝わればいいという思い(間違ってることにすら気づいてない人もいるが)により、昨今あるような話し方に辿り着いてしまったんだろうか

ハイスイノナサ/想像と都市の子供

ではでは