Episode 4.0 AXiSによせて

 おばんです。

 以下は、タイトルの通りTokyo 7th SistersのEpisode 4.0 AXiSが無事完結したことに寄せてのただの覚書です。

 本エピソードは、総監督である茂木氏が語るようにナナシスという大きな物語である全体の起承転結のうち転にあたるものである。これまでエピソードと比べても気合の入りようは格段に違う。全13話構成であり、最終話である13話は60分と大ボリュームとなっている。さらに演出において、今までは使いまわしの背景に対して、キャラクター絵をはめ込んでいたが、アニメーション演出をふんだんに盛り込んでいる。またこれまでの主要となるエピソードを象徴するリードトラックが存在していたが、今回もまたある。後述するようにAXiSのHeaven's Rave、COCYTUSであり、また13話のEDである777☆SistersのNATSUKAGE -夏陰-である。

 本エピソードの大筋は以下となる。かつてアイドル界を席巻したセブンスシスターズのそれぞれのキャラクターと同じ声を持つAXiSが登場。彼女らの目論見はアイドルとそれらにまつわる世界を滅ぼすことであり、そのために777☆Sistersに勝負をけしかける。エピソードの後半につれて明らかになるように、この勝負の行方に何を彼女らは見出すのだろうか、というのが問いとなっている。

 この覚書には多くのネタバレを含む。まだ全てのエピソードを読み終えていない諸君は回れ右だ。はやく読みたまえ。

 一応、覚書といえども目的を設定しておこう。二点になる。一点目として、AXiSが提出した問いに対して、777☆Sistersのみながどのように応答したのか、を確認することであり、二点目としてその応答を吟味することである。

 

 1.翼・灰・exit

 まず本節のタイトルを明かす前にAXiSの主張を確認しよう。メンバーは6人いるものの、中心的人物である天神ネロの主張を見れば、それはほとんどAXiSの主張として受け取れる。天神の来歴は次である。彼女には、アイドルを目指した姉がいた。しかし、姉はセブンスシスターズに及ぶわけでもなく、ただアイドルとして成功できるわけでもなかった。さらに悪いことにセブンスと同じ声を持つ天神の存在によって同時に、精神を病んでいき、ほとんど寝たきりになってしまう。天神の主張の枢要の一つはここにある。「セブンスの呪い」、それは第一に一世を風靡したにも関わらず突如解散したことによりファンたちを裏切り、彼ら彼女らに大きなアイドルに対する不信感を植え付けたことであり、第二にセブンスは「皆の手を引く、元気に、笑顔にする」と言っているにも関わらず、ファンを裏切った、のみならず知らず知らずのうちに天神の姉ように敵を生み出し、蹴落としていった。セブンスの行為とは裏腹に存在し、禍根として持続する欺瞞や裏切りである「呪い」を、むしろこの「呪い」を利用することによって打ち砕くことがAXiSの狙いである。彼女らの矛先は、ただアイドルのみに向かうわけではなく、ファンなどアイドルまつわるもの全てに向かう。AXiSの他のキャラクター像に象徴するように、ただファンはアイドルを性的に消費したり、囲いとなったり、すぐに移ろっていってしまう。AXiSは、こうしたファン、産業などを含めたアイドルにまつわるもの全てが消し去られることを狙う。

 天神はセブンスの後継となった777☆Sistersのうちに同様の欺瞞を見出す。特に777☆Sistersの主人公といってもいい春日部ハルはこの問いに執拗にさらされる。春日部は「ただ誰かを笑顔にしたくて、背中を押したくて、そして光になりたくて」、アイドルをやっていたにも関わらず、その行為が天神の姉のように敵を生み出し、そして蹴落としていってしまったのではないか、真逆のことを結果として生み出してしまったのではないか、と懐疑に陥ってしまう。

 AXiSは以上の狙いのために、777☆Sistersにライブで負ければどちらかが解散という、勝負をしかける。AXiSが勝って777☆Sistersが解散し、その上で自分たちも解散。あるいは777☆Sistersが勝って、AXiSが解散することになったとしても、天神が自殺を企図することによってファンに衝撃をもたらす。どちらに転んでも、アイドルは消滅し、二度とアイドルなど生まれないようにする。これが大筋となっている。

 天神の主張やAXiSの唄ではこうした狙いを裏付けするように印象的なものが多い。例えば、天神は多くの箇所で「灰にしちゃるけん」という。さらに天神は最終話で自殺を企図する際に、象徴的に姉に語りかけるように「翼があったらよかったのにな」という。またHeaven's Raveの歌詞には、「連れてってあげるよ天国へ まだまだ騒ぎ足りないの 現実捨ててこれたなら その目を見つめてあげるよ」とある。灰、翼、天国といった象徴的な言葉はAXiSの主張を非常にわかりやすく表している。今ここにある世界―アイドルにまつわる世界―を燃やし尽くして灰にすること、そして翼によって天国あるいはこの世界ではない外部への脱出 Exit である。

 蛇足ながら、AXiSの主張を目にしたときに私自身、非常に驚いた。これは近年日本でも取り上げられ注目されている加速主義の主張に酷似するからである。加速主義の立場は様々なものがあるが、特に最もラディカルであるニック・ランドの思想とAXiSは符合する。ランドは、現在の資本主義の力を解放し、徹底的かつ破壊的に推し進めることによってこの世界からの脱出Exitを目指す。資本主義=アイドルの力、呪いによる推進こそが天国へと繋がるのだ。

 

 2.歩くこと・今ここ・自己信頼

 前節でAXiSの主張について確認できた。私たちはここでこの覚書の目的の一つである応答について確認できる。

 春日部の12話や最終話における台詞から読み取ることができる。

ねぇみんな、聞いて。

もうすぐAXiSとの戦いの日が来るね。

私たちは勝てないかもしれない。

解散してしまうかもしれない。

消えてなくなってしまうかもしれない。

戦わなくたって、誰も文句は言わないと思う。

だけど、それでも私たちは、ここまで歩いてきた。

自分の足でここまで歩いてきた。

勝ちたかったから?違うよ。

私は、私を超えたかったから歩いたんだ。

なんでこれをするのか、なんのためにここにいるのか、そういうことから逃げたくなかったから、歩いたんだ。

そうやって歩いて、私は今、ここにいる。

私はもう逃げない。目を背けない。戦うよ。

勝つためじゃない。負けるためでもない。

自分に嘘をつかないために戦うんだ。

もし負けて解散するとしても、私は後悔しない。

解散するから、なんだっていうの?

そんなことで、私たちのやってきたことは、歩いてきた道のりは、消えない。

アイドルは消えないんだ。

Episode 4.0 AXiS 12話より

自分の足で――”青空”(ここ)まで、歩いてきた!!

Episode 4.0 AXiS 13話より

まず、はじめに私はみなさんのことを、よく知りません。

それに、きっと気の利いたことも、誰かを救うような言葉も言えないから、自分のことを、私たちのことを、話そうと思います。

私たち、歌や踊り、たくさん練習しました。今までたくさん負けちゃいそうなときも、折れちゃいそうなときもいっぱいあった。みんなもそうでしょ?

負けそうなとき、苦しいとき、悲しいとき、ひとりだって感じて、自分が何でここにいるのか、どうして生まれてきたのか、わからなくなる、そんなときが。

同じだね、同じなのに、ごめんね。

私には、『あなたはひとりじゃない』なんて言えない。

私たちは他人だもん。

私は、あなたじゃないもん。

あなたはひとりぼっちかもしれない。

あなたの過去は、やりなおせないかもしれない。

あなたの未来は変えられないかもしれない。

でも、いつか、そう思う日がきたら思い出してください。今日、あなたがここにいたこと、あなたが、私の背中をおしたこと。

だから、あなたは、私のアイドルです。

ありがとう、あなたがここにいてくれてよかった。

 Episode 4.0 AXiS 13話より

  読んでわかるように、AXiSとのコントラストである。AXiSが主張する灰、外部への脱出、天国へ、ではない。777☆Sistersがアイドルとして目指すことは、翼によって羽ばたいていくことではなく、「歩いて」、そして「今ここ」にたどり着いたことそのもの、軌跡、自分の足を信じることである。

 こうした主張は、ラルフ・ワルド・エマソンを思い起こす。エマソンが主張する自己信頼や円に関する議論はこの応答と符合する。エマソンによれば、自己信頼とは、社会に何らかの形で迎合することではなく、自己の奥深くにあるものを発掘し、そして信頼することである。そして、円については、その信頼した地点は一つの円となり、一つの完成となる。だがその描かれた円はそれで完成して終わるのではなく、その外にまた円を描けるのだ、とエマソンは主張する。

 エマソンの思想は、ニーチェが述べるような超人とはやや異なる。自己信頼は、自分自身一人での精進ではなく、他者関係である。私たちの今ここまで歩いてきた道のりは一つの到達点だが、その先を行くものたちがいる。私たちは先を行くものたちを見ては、また新しい円を描くことができる。先を行く他者を信じることは、たどり着くだろう自分を信じることであり、やはり今ここにたどり着いている自分を信じることでもある。

 ここで、春日部の述べる「自己を超えること」、そして「あなたはアイドルです」という主張を理解できるようになる。すなわち、私たちは誰かの先を行くものであり、同時にその先を追うものでもある。追いついてたどり着いては、また先に行くものを見る。そして追い越すために歩き出していかなくてはならないのだ。そうした意味で、先を行く他者がアイドルであり、自身も先を行くものとしてアイドルなのである。

 

 3.おわりに

 だからといって、どちらの道を取るにしても容易なわけではない。

 AXiSの道の険しさは、最終話のライブ時の蓬莱タキによく表れている。彼女は、脱出への恐怖に怯え、失敗してしまう。天国へと至る階段を登れる人間は多くはない。自己を否定する力、死への欲動の肯定という倒錯性を貫ける人間は果たしてどれだけいるのだろうか。

 だからといって、777☆Sistersが選んだ道も優しいわけではない。私たちはたしかに「今ここ」にいるかもしれない。しかし、ここまで歩んできた道は見えているだろうか、途切れ途切れではないだろうか。そして途切れていたとしても、歩んできたんだ、というその身体の感覚、記憶があればいいというかもしれない。しかし、私たちはその感覚や記憶をどこまで保っていられるのか。今や疲弊し、消尽しかかっている。そして、先を行くものたちの光が見えるか。あるいは先を行くものたちの真っ直ぐな光は強すぎて逆光で前が見えなくなっていないか。

 最も不幸なのは、この二つの道の手前で立ちすくんでしまう人々である。倒錯性を貫くほどの勇気もなく、今ここを信じるだけの他者関係も何もない人間はどうするべきなのか。777☆Sistersの道の厳しさの一つは、世界や他者との紐帯である信が途切れてしまっているにも関わらず、その信をどうにか再建しなければならないことである。

 最終話の天神の台詞は印象的である。

偶像やない、こいつは、人間ばい。

Episode 4.0 AXiS 13話より

 他にもこうした台詞は多く見受けられる。私たちは、人間であり、生きていくのだ、と。

 しかし、私にはアイドルを人間にしてしまうことは最も厳しい道を選んでしまったようにしか思えない。アイドルを人間としてしまうことは、全ての人間をAXiSか777☆Sistersか、という岐路に立たせてしまう。そこに逃げ場はない。だって私たちは人間になってしまったのだから、そしてそれはアイドルなのだから。

 そして、比嘉アグリのつぶやきは最も重い問いとなり、またAXiSが投げかけてきた最初の問いにつねに舞い戻らされてしまう。

こういう風にしか世界を愛せなかった人もいるの

Episode 4.0 AXiS 13話より

  私たちは彼岸の他者をアイドルと見なせるか、そしてその他者のアイドルとなれるのだろうか。

Tokyo 7th シスターズ声優のラジオ

 なんとなくTokyo 7th シスターズの声優の方のラジオをまとめてみました。とりあえず、アニメタイアップではないラジオです。

 あと掲載している方は、7/20に行われた武道館ライブに出演された方をまとめました。気が乗ったら今後足すかもしれない。漏れがあったらごめんなさい。

 

・篠田みなみ

anitama.com

agonp.jp

 

高田憂希

twitter.com

 

加隈亜衣

ch.nicovideo.jp

 

・中島唯

ch.nicovideo.jp

 

井澤詩織

www.c-channel.secondshot.jp

twitter.com

twitter.com

 

清水彩香

www.onsen.ag

 

道井悠

ch.nicovideo.jp

 

今井麻夏

なし

 

大西沙織

加隈亜衣と同じくキャン丁目キャン番地

www.onsen.ag

www.animatetimes.com

ただしこれは現在休止中

www.joqr.co.jp

 

・中村桜

清水彩香と同じく清桜

vstation.net

 

・高井舞香

ラジオなし。以下twitter

twitter.com

 

桑原由気

anitama.com

 

・吉井彩実

ラジオなし。以下ブログ

ameblo.jp

 

植田ひかる

ラジオなし。以下twitter

twitter.com

 

藤田茜

www.onsen.ag

ch.nicovideo.jp

 鷲崎健と8月から放送開始予定

www.onsen.ag

下地紫野との限定配信

 

広瀬ゆうき

ラジオなし。以下twitter

twitter.com

 

山本彩乃

ラジオなし。以下twitter

twitter.com

 

・野村麻衣子

ラジオなし。以下twitterおよびinstagram

twitter.com

www.instagram.com

 

巽悠衣子

seaside-c.jp

ch.nicovideo.jp

 

山崎エリイ

freshlive.tv

 何やらパーソナリティを担当するようです

 

田中美海

ch.nicovideo.jp

音泉プレミアムに関する忘備録

 久しぶりにブログ書きます。

 内容はただタイトルの通り音泉プレミアムに関する忘備録。

 

 こんなことを書こうとした経緯として、今年の1/26に声優の藤田茜さんが誕生日をむかえられ、それを記念に藤田茜生誕25周年記念番組と題して「藤田茜シーズン1」という一人しゃべりラジオが、音泉プレミアムで始まった。

 ここで、藤田茜のためだけに、音泉プレミアムに入るか!?と思いつつ、音泉プレミアムについて調べるも大した情報がわからず結局足踏みして、前回配信にてWUGの吉岡茉祐さんがゲストに来たということもあり、勢いで登録した。

 プレミアムに関する大まかな内容はこちらをご覧ください(

アプリ・プレミアムコンテンツ | インターネットラジオステーション<音泉>)。

 ここでは、足踏みしてしまって、勢いで登録する際にわかったこと、そして改善してほしいなと思うことだけ書きます。

 まず足踏みした最大の理由としては、月額がいくらか全くわからなかったこと。この点については、アプリで会員登録し、プレミアムコンテンツにさらに登録しようとするときにわかる。

 で、具体的に月額550円。なお登録してから二週間の無料トライアル期間がある。そのトライアル期間終了後キャンセルしない限りは、おそらく自動的に月額コースに入る。

 最大の理由と書いてしまって、他に理由があったのかと自問したがなかったので、改善を望む点として何点か。

 一点目として、プレミアムコンテンツをパソコンでも聞けるようにしてほしい。現状プレミアム会員は、アプリで通常会員になり、さらにプレミアム会員になるという形でしか登録されていないため、原理上アプリを介さないパソコンのブラウザのやつでは聞けない。

 私はネットラジオを家にいるときにパソコンでしか聞かないので正直困る。

 あと藤田茜さんの番組は映像配信なので、正直スマートフォンの画面サイズでは少々不満がある、というところ。

 二点目として、アーカイブ配信が過去三回というのは少ないのでは?という気持ち。この点については、他と比較したことがないのでなんとも言えないが、アーカイブ配信は過去五回くらいまでにしてくれると嬉しい。

 

 以上が、音泉プレミアムの制度について登録する前後について思ったことでした。

 藤田茜好きだけど、隔週配信しかしないのに月額550円って少し高くないか?という気持ちはなくなはないですが、なぜか映像配信だし、1時間くらいしゃべって、自由にやってるので良いです。あと、他のプレミアム会員専用の番組として、「高橋李依上田麗奈 仕事で会えないからラジオ始めました」とかは面白くて良いです。映像配信ではないけれど。

 最後に、プレミアム会員に登録すれば、一回目はいつでも聞けるものの、前述の通りアーカイブ配信は過去三回目までです。藤田茜シーズン1は、現在5回目まで配信中。ということは、第二回が聞けるのはあと少しなので、入るなら今からかもしれません。

 予告だけアプリから見れるのでよろしければ是非というお話でした。

藤田茜シーズン1 | インターネットラジオステーション<音泉>

 

皇紫音以後の世界〈1〉

 タイトルとしてつけた『皇紫音以後の世界』について語る前に、次の命題を立て、解明することによって、このタイトルに至った理由を述べたい。

 「ポスト皇紫音とは何か」ということである。

 しかし、私はこの命題を次の二つによってすぐさま粉砕することによって、タイトルに戻りたい。何故なら、この命題はあまりにもふさわしくない。恐らく語ることすら許されないからだ。

 しかし、この命題について語る前に「ポスト」という言葉について、誤解が生じないように明らかにしたい。

 「ポスト・モダン」に関するConnolly(1988)の説明から参照したい。(こうした政治思想家から説明を試みてしまうのは申し訳ない。私がそこらへんに従事しているため)

 Connollyによれば、ポスト・モダンとは、近代(モダン)であることの典型的様式の一つであるという。すなわち、旧近代、近代という統合的なモダンの形式のなかで、一部の廃棄と一部の継続としてポスト・モダンは現れる。ここでいう「ポスト」とは、完全な「~の後」という意味ではなく、修飾する「~」の一部を引き継ぎ、そして場合によっては、修飾している語の意味を深化させる意味がある。

 さて、ここから二つの意味で命題を粉砕したい。

 第一に、皇紫音をアニメキャラクターとして捉えたときだ。彼女をアニメキャラクターとして捉えたとき、命題は次のように解釈されるだろう。

 皇紫音がアニメキャラクターとしてのある種の型を生成し、GJ部放送あるいは、連載開始以後に彼女の型を中心として、他のキャラクターが生成されたかどうか、ということである。

 しかし、このことはどうにもありそうにない。何故なら、贔屓目に見たとしても、皇紫音は過去にいたキャラクターのよくあるモンタージュでしかない。彼女は「黒髪ロング」「知的である、しかし、一般常識がない」「友達が少なく、畏怖される」等々。あまりにもいそうである。

 皇紫音自体がポストそうしたキャラクターの一類型なため、こうした意味から命題は却下される。

 第二に、皇紫音を実在して存在すると捉えたときだ。このような解釈は、第一の解釈の変奏でしかないかもしれない。

 すなわち、彼女に内在する良さ、あるいは私が彼女に対して下す良さを引き継ぎ、あらわれたキャラクターがいるのかということだ。

 いわゆる「俺の嫁」といった表現に近いところだろう。

 しかし、これはないと言いたい。だが、これは私の実感でしかない。

 また全く別の表現をすれば、確かに彼女はアニメキャラクターではあるものの、ある種私たちに経験され、存在すると措定してしまったとき、未だに確かに存在するのだ。(極めて曖昧に存在という言葉を用いて申し訳ない。これは、一つのコンフェッションだ)

 だから、こうしたなお生きられる経験として存在するものに対して、「ポスト」という言葉を私は用いることはできない。唯一の存在である。(そして、これもコンフェッションであり、願望でもある)

 第一の意味は、批評としての命題の却下だが、第二は、願望でしかない。非常に根拠薄弱だ。

 さて、タイトルの解説をしよう。こんな命題を用意して却下してみたものの、特に必要性はないかもしれない。第一の要素を否定したかっただけだ。そして、伊藤計劃以後という言葉に被せたかっただけだ。

 だが、ここで明らかにしたいのは皇紫音そのもののポスト性ではなく、皇紫音という存在としての事象が、特異点として私に何を残したのかということである。彼女は、私に何をもたらし、残し、そして、もたらし続けているのかということである。こうした意味では、「私自身にとって」の「ポスト皇紫音」という意味で、「ポスト」という言葉を用いることは恐らく正しいだろう。

 このように用いたとき、タイトルをさらに明らかにすれば、彼女は、私のなかに何かあったを廃棄ないし、拒否し、さらに何かを進展、拡張してきたのかもしれない。そうしたなかで私にもたらされた新たな世界は何かということを探求する。

 何故このような怪文書をまた生成することになってしまったかといえば、ふとTwitterのアイコンを変更しようかなと数年ぶりに思ったものの、適当なものが何もなかったことが発端となっている。つまり、私自身にとって皇紫音の以後の存在が何もなかったのである。これは、非常にはっとさせられてしまったし、結局「皇紫音」という存在は何だったのかということを、大真面目に考えなければならないと思いつめてしまったことに起因する。思いつめてしまっている。とても。

 皆目この「世界」が何かということについて、検討がつかないため、またどこかで再び続編を書くことにしたい。

 

 

2016

 いつにもまして年越し感と正月感がなかった。

 おばんでございます。

 最近ついったにあまりポストしていないので、適当に近況(2014年という一年)を取りまとめます。

 

◆雑事

 新宿の隠れ家的な場所、おざ研にて某文学少女の開催する読書会に一昨年から去年も参加させてもらっていました。楽しかったです。おかげさまで、今まで私の「読み終えて辛かった本ランキング」が「一位 黒死館殺人事件 二位 純粋理性批判 三位 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」であったのから、見事一位に「恋空」が君臨しました。本当にありがとうございます。(順位はそのまま繰り下げ)

 おざ研は残念ながら云々で八月になくなってしまいましたが、今も読書会は、新宿の月に吠えるとかいうバーでやっているらしいです。「らしい」というように私はまだ行ったことがない。

 

 あと去年はよく古本屋探索に行きました。昔から古本屋巡るのは好きだけども、近場にしか行かないし、出不精なせいで全く行ってなかったが、古本市、有名な古本街を回りました。個人的には、高円寺と早稲田が最高でした。人文系の専門書揃えるには個々二つを回れば困らない感じがする。あとわりと安い。店舗だけで言えば本郷の前の洋書屋が哲学書が豊富でよかった。

 

◆研究関連

 ずっと闘技的民主主義の関連をやっていてその兼ね合いでウィリアム・E・コノリーという人の研究をやってます。いつもこの話をすると「あ、生きてる人なんだ。哲学やってる人って死んだ人ばかりやってるものだと思ってた」と言われる。確かにそういう思い込みはある。

 コノリーはなんでだかわからないけど、あまり日本で研究されていない。生きていない人の研究って蓄積が大量にあって大変そうだな~とか前から思ってたけど、生きている人の研究の大変さ気付きました。基本的に海外のことばかり見なければ蓄積がないということ。それでも、英語でまだよかったと思う日々です。

 コノリーは、近代的主体批判という形で一貫はしているものの、初期である『政治理論とモダニティ』『アイデンティティ/差異』においては、批判にとどまっている。しかし、『プルーラリズム』『Neuropolitics』になると「生成の政治」と「存在の政治」という形で構築主義的な解体するだけの批判を越えて、実践的な概念を打ち出してきてるのは、変遷を追うだけでかなり面白いです。今は、私的公的の区分があんまり好きではないので、その区分に対置させる形で、その二つの概念を日常というもののなかに定位できないかな~なんてやってます。

 

◆確実に青春の一欠片を築いた元throwcurveの中村遼が新年から最高の音楽をくれた。ありがとう。

 

ナカムラリョウと前未来 | Free Listening on SoundCloud

年明ける

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 

◆「卒論を前にしてパソコンクラッシュとか、風邪とかひくわけないだろHAHAHA~」とか言っていたら、それは見事にフラグで、鮮やか過ぎるほどの回収力を見せてしまった。

 そう風邪をひいた。

 そう話していたのが夕方四時半くらい、風邪だと気づいたのはその日の夜八時くらい。鮮やか過ぎるほどのフラグ回収力、強大で愛すべき予定調和。

 絶対安静を命じられるままに、三日間寝飽きるほどに、ベッドに張り付き、一日二つ林檎を食べていたらあっという間に治った。林檎は偉大。

 そして、息つく間もなく、六月の学会発表の要旨提出締め切りが明日の零時であることを指導教官に知らされる。いつもどおりの「がんばってねー」という放任さ。がんばります。

 明日までに、なんとかかんとか200字分の要旨を捻り出す。

 

◆三月になると、なんと23才になります。

 先日、恋空の読書会をやり、その恐ろしさを思い知ったあとに、恋空を乗り越えられるようなことが起きた。

 僕は今まで大切な人の幸せとか、自然さのためなら、この身体を百ぺん焼かれてもいいと思うことが優しさとかなんとか思っていたし、そういう点では恋空の優の心境は「お前は私かよ」と思うほどにわかっていた。

 しかし、そうでなくていいんだよ、と初めて人に言われて、他の人にとってはもしかしたら、当たり前のことかもしれないけど、僕自身では絶対に許せなかったことを許してもらうということがここまで生きてきて初めてあった。

 僕は中二病のように、一人で生きていけるし、一人で生きていかなければならないと、荒野を一人でいくようにとずっと思っていたけども、そうでなくていいんだよ、迷惑をかけてもいいんですよと初めて言われてなんだか嬉しかったし、「ああ、それでいいんだ。こんなに簡単なことなんだ」と思えた。

 「あゝ、これがかのコペルニクス的転回か」とか思わなくもないけど、僕にとっては驚愕のことで、ただ女の子に許してもらいたかったんだなということに改めて気づいた。

 同時に、Burger Nudsのエコーの歌詞を心身でもって理解できた。初めて聴いてから七年くらい経つけども。

 

 門田がGDHMのJewel Boxで「俺達ものすごくドジだね たくさんの言葉で薄めて忘れて」という歌詞を強く意識するようになったここ最近。若干言語化して口に出すということにあまりにも重きをおきすぎてしまったからこそ、世の中には喋らなくても伝わることが当たり前ながら多々あって、言葉にするということと距離を見つめなおしていきたい。

 

 ここまで門田の話をしてきたのに、最後に限りなく透明な果実だ。

 新譜は明日届くだろうし、間違いないだろうし、カンパネルラのMVは間違いなかった。

 「わかってほしいから言葉にしない」


限りなく透明な果実「カンパネルラ」 - YouTube