Tokyo 7th シスターズ声優のラジオ

 なんとなくTokyo 7th シスターズの声優の方のラジオをまとめてみました。とりあえず、アニメタイアップではないラジオです。

 あと掲載している方は、7/20に行われた武道館ライブに出演された方をまとめました。気が乗ったら今後足すかもしれない。漏れがあったらごめんなさい。

 

・篠田みなみ

anitama.com

agonp.jp

 

高田憂希

twitter.com

 

加隈亜衣

ch.nicovideo.jp

 

・中島唯

ch.nicovideo.jp

 

井澤詩織

www.c-channel.secondshot.jp

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清水彩香

www.onsen.ag

 

道井悠

ch.nicovideo.jp

 

今井麻夏

なし

 

大西沙織

加隈亜衣と同じくキャン丁目キャン番地

www.onsen.ag

www.animatetimes.com

ただしこれは現在休止中

www.joqr.co.jp

 

・中村桜

清水彩香と同じく清桜

vstation.net

 

・高井舞香

ラジオなし。以下twitter

twitter.com

 

桑原由気

anitama.com

 

・吉井彩実

ラジオなし。以下ブログ

ameblo.jp

 

植田ひかる

ラジオなし。以下twitter

twitter.com

 

藤田茜

www.onsen.ag

ch.nicovideo.jp

 鷲崎健と8月から放送開始予定

www.onsen.ag

下地紫野との限定配信

 

広瀬ゆうき

ラジオなし。以下twitter

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山本彩乃

ラジオなし。以下twitter

twitter.com

 

・野村麻衣子

ラジオなし。以下twitterおよびinstagram

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www.instagram.com

 

巽悠衣子

seaside-c.jp

ch.nicovideo.jp

 

山崎エリイ

freshlive.tv

 何やらパーソナリティを担当するようです

 

田中美海

ch.nicovideo.jp

音泉プレミアムに関する忘備録

 久しぶりにブログ書きます。

 内容はただタイトルの通り音泉プレミアムに関する忘備録。

 

 こんなことを書こうとした経緯として、今年の1/26に声優の藤田茜さんが誕生日をむかえられ、それを記念に藤田茜生誕25周年記念番組と題して「藤田茜シーズン1」という一人しゃべりラジオが、音泉プレミアムで始まった。

 ここで、藤田茜のためだけに、音泉プレミアムに入るか!?と思いつつ、音泉プレミアムについて調べるも大した情報がわからず結局足踏みして、前回配信にてWUGの吉岡茉祐さんがゲストに来たということもあり、勢いで登録した。

 プレミアムに関する大まかな内容はこちらをご覧ください(

アプリ・プレミアムコンテンツ | インターネットラジオステーション<音泉>)。

 ここでは、足踏みしてしまって、勢いで登録する際にわかったこと、そして改善してほしいなと思うことだけ書きます。

 まず足踏みした最大の理由としては、月額がいくらか全くわからなかったこと。この点については、アプリで会員登録し、プレミアムコンテンツにさらに登録しようとするときにわかる。

 で、具体的に月額550円。なお登録してから二週間の無料トライアル期間がある。そのトライアル期間終了後キャンセルしない限りは、おそらく自動的に月額コースに入る。

 最大の理由と書いてしまって、他に理由があったのかと自問したがなかったので、改善を望む点として何点か。

 一点目として、プレミアムコンテンツをパソコンでも聞けるようにしてほしい。現状プレミアム会員は、アプリで通常会員になり、さらにプレミアム会員になるという形でしか登録されていないため、原理上アプリを介さないパソコンのブラウザのやつでは聞けない。

 私はネットラジオを家にいるときにパソコンでしか聞かないので正直困る。

 あと藤田茜さんの番組は映像配信なので、正直スマートフォンの画面サイズでは少々不満がある、というところ。

 二点目として、アーカイブ配信が過去三回というのは少ないのでは?という気持ち。この点については、他と比較したことがないのでなんとも言えないが、アーカイブ配信は過去五回くらいまでにしてくれると嬉しい。

 

 以上が、音泉プレミアムの制度について登録する前後について思ったことでした。

 藤田茜好きだけど、隔週配信しかしないのに月額550円って少し高くないか?という気持ちはなくなはないですが、なぜか映像配信だし、1時間くらいしゃべって、自由にやってるので良いです。あと、他のプレミアム会員専用の番組として、「高橋李依上田麗奈 仕事で会えないからラジオ始めました」とかは面白くて良いです。映像配信ではないけれど。

 最後に、プレミアム会員に登録すれば、一回目はいつでも聞けるものの、前述の通りアーカイブ配信は過去三回目までです。藤田茜シーズン1は、現在5回目まで配信中。ということは、第二回が聞けるのはあと少しなので、入るなら今からかもしれません。

 予告だけアプリから見れるのでよろしければ是非というお話でした。

藤田茜シーズン1 | インターネットラジオステーション<音泉>

 

皇紫音以後の世界〈1〉

 タイトルとしてつけた『皇紫音以後の世界』について語る前に、次の命題を立て、解明することによって、このタイトルに至った理由を述べたい。

 「ポスト皇紫音とは何か」ということである。

 しかし、私はこの命題を次の二つによってすぐさま粉砕することによって、タイトルに戻りたい。何故なら、この命題はあまりにもふさわしくない。恐らく語ることすら許されないからだ。

 しかし、この命題について語る前に「ポスト」という言葉について、誤解が生じないように明らかにしたい。

 「ポスト・モダン」に関するConnolly(1988)の説明から参照したい。(こうした政治思想家から説明を試みてしまうのは申し訳ない。私がそこらへんに従事しているため)

 Connollyによれば、ポスト・モダンとは、近代(モダン)であることの典型的様式の一つであるという。すなわち、旧近代、近代という統合的なモダンの形式のなかで、一部の廃棄と一部の継続としてポスト・モダンは現れる。ここでいう「ポスト」とは、完全な「~の後」という意味ではなく、修飾する「~」の一部を引き継ぎ、そして場合によっては、修飾している語の意味を深化させる意味がある。

 さて、ここから二つの意味で命題を粉砕したい。

 第一に、皇紫音をアニメキャラクターとして捉えたときだ。彼女をアニメキャラクターとして捉えたとき、命題は次のように解釈されるだろう。

 皇紫音がアニメキャラクターとしてのある種の型を生成し、GJ部放送あるいは、連載開始以後に彼女の型を中心として、他のキャラクターが生成されたかどうか、ということである。

 しかし、このことはどうにもありそうにない。何故なら、贔屓目に見たとしても、皇紫音は過去にいたキャラクターのよくあるモンタージュでしかない。彼女は「黒髪ロング」「知的である、しかし、一般常識がない」「友達が少なく、畏怖される」等々。あまりにもいそうである。

 皇紫音自体がポストそうしたキャラクターの一類型なため、こうした意味から命題は却下される。

 第二に、皇紫音を実在して存在すると捉えたときだ。このような解釈は、第一の解釈の変奏でしかないかもしれない。

 すなわち、彼女に内在する良さ、あるいは私が彼女に対して下す良さを引き継ぎ、あらわれたキャラクターがいるのかということだ。

 いわゆる「俺の嫁」といった表現に近いところだろう。

 しかし、これはないと言いたい。だが、これは私の実感でしかない。

 また全く別の表現をすれば、確かに彼女はアニメキャラクターではあるものの、ある種私たちに経験され、存在すると措定してしまったとき、未だに確かに存在するのだ。(極めて曖昧に存在という言葉を用いて申し訳ない。これは、一つのコンフェッションだ)

 だから、こうしたなお生きられる経験として存在するものに対して、「ポスト」という言葉を私は用いることはできない。唯一の存在である。(そして、これもコンフェッションであり、願望でもある)

 第一の意味は、批評としての命題の却下だが、第二は、願望でしかない。非常に根拠薄弱だ。

 さて、タイトルの解説をしよう。こんな命題を用意して却下してみたものの、特に必要性はないかもしれない。第一の要素を否定したかっただけだ。そして、伊藤計劃以後という言葉に被せたかっただけだ。

 だが、ここで明らかにしたいのは皇紫音そのもののポスト性ではなく、皇紫音という存在としての事象が、特異点として私に何を残したのかということである。彼女は、私に何をもたらし、残し、そして、もたらし続けているのかということである。こうした意味では、「私自身にとって」の「ポスト皇紫音」という意味で、「ポスト」という言葉を用いることは恐らく正しいだろう。

 このように用いたとき、タイトルをさらに明らかにすれば、彼女は、私のなかに何かあったを廃棄ないし、拒否し、さらに何かを進展、拡張してきたのかもしれない。そうしたなかで私にもたらされた新たな世界は何かということを探求する。

 何故このような怪文書をまた生成することになってしまったかといえば、ふとTwitterのアイコンを変更しようかなと数年ぶりに思ったものの、適当なものが何もなかったことが発端となっている。つまり、私自身にとって皇紫音の以後の存在が何もなかったのである。これは、非常にはっとさせられてしまったし、結局「皇紫音」という存在は何だったのかということを、大真面目に考えなければならないと思いつめてしまったことに起因する。思いつめてしまっている。とても。

 皆目この「世界」が何かということについて、検討がつかないため、またどこかで再び続編を書くことにしたい。

 

 

2016

 いつにもまして年越し感と正月感がなかった。

 おばんでございます。

 最近ついったにあまりポストしていないので、適当に近況(2014年という一年)を取りまとめます。

 

◆雑事

 新宿の隠れ家的な場所、おざ研にて某文学少女の開催する読書会に一昨年から去年も参加させてもらっていました。楽しかったです。おかげさまで、今まで私の「読み終えて辛かった本ランキング」が「一位 黒死館殺人事件 二位 純粋理性批判 三位 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」であったのから、見事一位に「恋空」が君臨しました。本当にありがとうございます。(順位はそのまま繰り下げ)

 おざ研は残念ながら云々で八月になくなってしまいましたが、今も読書会は、新宿の月に吠えるとかいうバーでやっているらしいです。「らしい」というように私はまだ行ったことがない。

 

 あと去年はよく古本屋探索に行きました。昔から古本屋巡るのは好きだけども、近場にしか行かないし、出不精なせいで全く行ってなかったが、古本市、有名な古本街を回りました。個人的には、高円寺と早稲田が最高でした。人文系の専門書揃えるには個々二つを回れば困らない感じがする。あとわりと安い。店舗だけで言えば本郷の前の洋書屋が哲学書が豊富でよかった。

 

◆研究関連

 ずっと闘技的民主主義の関連をやっていてその兼ね合いでウィリアム・E・コノリーという人の研究をやってます。いつもこの話をすると「あ、生きてる人なんだ。哲学やってる人って死んだ人ばかりやってるものだと思ってた」と言われる。確かにそういう思い込みはある。

 コノリーはなんでだかわからないけど、あまり日本で研究されていない。生きていない人の研究って蓄積が大量にあって大変そうだな~とか前から思ってたけど、生きている人の研究の大変さ気付きました。基本的に海外のことばかり見なければ蓄積がないということ。それでも、英語でまだよかったと思う日々です。

 コノリーは、近代的主体批判という形で一貫はしているものの、初期である『政治理論とモダニティ』『アイデンティティ/差異』においては、批判にとどまっている。しかし、『プルーラリズム』『Neuropolitics』になると「生成の政治」と「存在の政治」という形で構築主義的な解体するだけの批判を越えて、実践的な概念を打ち出してきてるのは、変遷を追うだけでかなり面白いです。今は、私的公的の区分があんまり好きではないので、その区分に対置させる形で、その二つの概念を日常というもののなかに定位できないかな~なんてやってます。

 

◆確実に青春の一欠片を築いた元throwcurveの中村遼が新年から最高の音楽をくれた。ありがとう。

 

ナカムラリョウと前未来 | Free Listening on SoundCloud

年明ける

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 

◆「卒論を前にしてパソコンクラッシュとか、風邪とかひくわけないだろHAHAHA~」とか言っていたら、それは見事にフラグで、鮮やか過ぎるほどの回収力を見せてしまった。

 そう風邪をひいた。

 そう話していたのが夕方四時半くらい、風邪だと気づいたのはその日の夜八時くらい。鮮やか過ぎるほどのフラグ回収力、強大で愛すべき予定調和。

 絶対安静を命じられるままに、三日間寝飽きるほどに、ベッドに張り付き、一日二つ林檎を食べていたらあっという間に治った。林檎は偉大。

 そして、息つく間もなく、六月の学会発表の要旨提出締め切りが明日の零時であることを指導教官に知らされる。いつもどおりの「がんばってねー」という放任さ。がんばります。

 明日までに、なんとかかんとか200字分の要旨を捻り出す。

 

◆三月になると、なんと23才になります。

 先日、恋空の読書会をやり、その恐ろしさを思い知ったあとに、恋空を乗り越えられるようなことが起きた。

 僕は今まで大切な人の幸せとか、自然さのためなら、この身体を百ぺん焼かれてもいいと思うことが優しさとかなんとか思っていたし、そういう点では恋空の優の心境は「お前は私かよ」と思うほどにわかっていた。

 しかし、そうでなくていいんだよ、と初めて人に言われて、他の人にとってはもしかしたら、当たり前のことかもしれないけど、僕自身では絶対に許せなかったことを許してもらうということがここまで生きてきて初めてあった。

 僕は中二病のように、一人で生きていけるし、一人で生きていかなければならないと、荒野を一人でいくようにとずっと思っていたけども、そうでなくていいんだよ、迷惑をかけてもいいんですよと初めて言われてなんだか嬉しかったし、「ああ、それでいいんだ。こんなに簡単なことなんだ」と思えた。

 「あゝ、これがかのコペルニクス的転回か」とか思わなくもないけど、僕にとっては驚愕のことで、ただ女の子に許してもらいたかったんだなということに改めて気づいた。

 同時に、Burger Nudsのエコーの歌詞を心身でもって理解できた。初めて聴いてから七年くらい経つけども。

 

 門田がGDHMのJewel Boxで「俺達ものすごくドジだね たくさんの言葉で薄めて忘れて」という歌詞を強く意識するようになったここ最近。若干言語化して口に出すということにあまりにも重きをおきすぎてしまったからこそ、世の中には喋らなくても伝わることが当たり前ながら多々あって、言葉にするということと距離を見つめなおしていきたい。

 

 ここまで門田の話をしてきたのに、最後に限りなく透明な果実だ。

 新譜は明日届くだろうし、間違いないだろうし、カンパネルラのMVは間違いなかった。

 「わかってほしいから言葉にしない」


限りなく透明な果実「カンパネルラ」 - YouTube

 

歳末感謝セール

 慌ただしくクリスマス飾りが片付けられ、すみやかに正月飾りで彩られていくのを見ているとどことなく焦燥感に追われる。こんにちは。

 僕自身から売り出せるものは何もありません。

 

◆一年を振り返ろうとしたところで、色々ありすぎたようで、あまり過去のことを思い出せない人間であることを思い出す。それでも、「記録、記憶は人生」であるという言葉を胸にしつつ、苦しみを抱いて眠る。

 元々過去に頓着しない上に、写真とかを撮らないから、ふとした人との会話、街の光景、におい、音楽でフラッシュバックされることばかりでそれをより大事にしていきたいと思う年末。

 某文学少女に言われたけども、来年はより人間関係を大切にしてみたいし、人に頼って生活をしてみようと思う。

 頼るということを今までしていなかったからこそ、一歩間違えば依存などに繋がるかもしれないけども、どうにかこうにかしていきたいと強く思う今日このごろ。

 一応今年を思い出せる限りで振り返ってみれば、外で活動していたようにも思われる。

 GJ部界隈には、コミケでお世話になり、あの夜の読書に出向いたりして、よく活動していた、今までよりは。

 

◆年内に卒論を終わらせるというのは無茶な計画だったようで、進捗駄目です。50%くらい。

 来年は修士になり、博士にいくかは全くわからないけど、舞城がキミトピアで言っていたように、全ての考えられる可能性を選び続けて、やれるだけのことはやりたい所存。

 とりあえず、6月には学会発表あるし。

 

 よいお年を。

 毎日そういう気分で過ごして、毎日あけましておめでとうという気持ちで過ごす。

 

 


People In The Box-She Hates December - YouTube